『交差点に舞う風』
大型免許を取得し順調に仕事をこなす島田へワン切り着電が入る。
詐欺ではないかと履歴から削除したが、ある日、見覚えのない
携帯番号からの電話は一度で切れることなく延々と鳴り続けた。
※この物語はフィクションです。登場する個人名・団体名などはすべて架空のものですが、
素人による執筆の為、誤字、脱字等々、お見苦しい点があることを予めお断りしておきます。
「そう。恵理香に──」
「気を付けていたんだけど、言葉の弾みって言うか──」
「別にいいわ。どうせいずれは知られると思ってたから──」
その数日後、姉の呼び出しを受けた私は、顔を見せるなり約束を破ってしまったことを告げた。姉は特に怒りもせず、寧ろわかっていたことと笑みを漏らす。
「でも、さすがね」
「さすがって?」
「島田さんが宥めたんでしょ?」
「ま~。え!?どうしてそれ?」
「あの子のことだもん、もしそうなったらすぐに連絡があるはずでしょ?」
姉の言葉に私はなるほどと口元を緩ませる。
「怒ったでしょうね」
「あ~、ま~」
「おねぇちゃん!ギャーッ!って、あの子カーッってなると突然自分を見失ったりするから──あれ?御存知じゃなかったの?」
初耳だという顔を嗅ぎ取ると、姉は直ぐさま疑問を投げかけた。
「いや・・・・」
「あら!?そう・・。ホント手に負えないくらい凄くて。だから私も内心そうなった時にはどう対処しようかってちょっと心配してたの」
「フッ・・そう」
「あら!?おかしい?」
「いや・・。ちょっと大袈裟だなって」
「大袈裟!?」
「ま~。そりゃ誰でもそんな一面ってのは持ってるんだろうけど。対処なんて言葉は少し大袈裟じゃない?」
「知らないからよ。──でもいいわ。あまり余計な話してもあの子を怒らせるだけだし、裏を返せばそれだけ満たされてるってことになるんでしょうから」
これ以上の会話は口論を生むだけとでも感じたのか、姉はうまく帳尻を合わせストローへと口を運んだ。私も同様に喉を湿らせるが、味はどこか曖昧だった。
「それはそうと、あれはどうなりました?」
「あれ!?」
「言ってたでしょ?答えを探してるって」
「あ~、それ」
「なんとなく雰囲気が違うように思えたから、もしかしたら見つかったのかなって」
平然を装いつつも、私は姉の洞察力に改めて驚きを覚えた。同時に真由美との一件も見透かされてる気がしてつい黙り込んだ。
「それとも、またおかしなこと考えてるとか?」
奇しくも姉の推測は外れたが、態とらしく胸元を隠す仕草に、
「フッ・・参ったな」
と、私は安心したように笑みを浮かべる。いつぞやの行動で姉を傷つけたのではないかと、気に止めていたからである。それが直接の理由ではないが、穏やかな気持ちは口を軽くさせるかもしれない。
「ま・・・・、一応」
「出たの?」
「出たって言っても、答えはなんとなくだけどね」
「いいわ、それでも。聞かせて?」
催促するかの姉に辺りを伺う素振りを見せたのは、すぐに状況を察してくれると思ったからだ。思惑通り姉は場所を変えようと腰を上げたが、私はあえてそれを制止した。
「実はこの間すっかり食いそびれちゃってね。だから話しは食べてからにしない?」
「え!?あ~っ、それもそうね」
と、慌てて腰を降ろす姉は、メニューに手を伸ばしながらクスッと笑った。
「どうしたん?」
「いえ、同じなんだと思ったらおかしくって」
「同じ!?」
「ええ。実は私もあの夜何も食べられなかったの」
「ああ、それで。フッ・・すっかり遅くなっちゃったからな」
「遅かったのもあるけど、いろいろあったでしょ?」
「・・・・いろいろ?」
「え~、いろいろと!」
姉はそう呟いた後、瞳をキリッと引き締めた。
食事を済ませてからは、便乗する形でどこへ行くともなく車を走らせていたが、今回はやや勝手が違い、姉のヴィッツの助手席に私が腰を降ろしていた。たまには自分のでという姉の言葉は立前に過ぎず、本音は前回のことが余程懲りてるのだと思った。
だから私は素直に承知したのだろう。もちろん、走り出して間もなく姉はその確信の部分に触れて私をからかった。
「でも、ホント言うと怖いんじゃない?」
「いや、思ってたよりもうまいって感心してたんだよ」
「そう?恵理香なんて私の横に乗る度に騒いでたわよ」
「たまには乗るんだ?」
「ううん、もうずっと前の話。ちょうど免許取って間もない頃かしら」
「取り立てじゃ~しょうがないだろ」
「ううん、私の場合は特別だったみたい。大声でおねぇちゃん怖い!って」
「フッ・・おねぇちゃんか・・・・」
あまりにも小声だったためか、最後の言葉は姉には届かなかったようだ。
「一つ、訊いてもいいかな~?」
しばし会話が途切れた後、私は姉の運転を横目に口を開いた。ハンドルを握る姉も私の口調に先程の続きとばかりに軽く答えた。
「自分より遥かに年上の人から、お姉さんって呼ばれたらどう思う?」
「・・・・どうって?」
「やっぱり変かな~って」
単刀直入に話しても運転に支障が出るだろうと、それとなく遠回しに言ってみたのだが、姉の口調からして大した違いはなかったようだ。
「変・・・・って。もしかしてそれが?」
「フッ・・ま~そんなとこかな。まだはっきり決まったわけじゃないけどね」
「じゃ~別れるの?・・・・奥さんと」
「そう・・なるかもしれないな」
「恵理香には話したの?」
「ま~、ある程度はね」
と、私はいつぞやの雨の夜の出来事を話して聞かせた。
離婚届を渡されたこと。ずぶ濡れになって恵理香の部屋を尋ねたこと。そして、そこで姉との秘密が破られたことなど、順を追って出来るだけ有りのままを伝えた。
「それであの子・・なんて?」
「状況が状況だからね。答えられないって」
「そう・・・・。人の幸せを踏みにじって得る幸せですもんね」
「フッ・・幸せか・・・・」
ため息にも似た声を吐き出し、ぼんやり外を眺めていると、いつしか私の目に見覚えのある景色が広がり始めた。
(・・・もしや!?)
と、思うのとヴィッツが悪路へと進み始めたのはほぼ同時だったが、とりわけ前回の時の姉のような動揺はなかった。無言のまま、姉はヘッドライトに照らし出される凹みを避けながら突き進んで行く。しかし、こういった道には慣れていないのだろう。
大したスピードでも無いのに拘わらず、アクセル操作と悪路とが噛み合わないのか、ヴィッツは時化の中の小型船のように激しく揺さぶられた。必死になって掴まったところで、宙を舞う身体はどうすることも出来ず、ただシートと天井とを往復するだけ。
ハンドルを握る姉も同様である。衝撃の合間に時折聞こえるのは、床の擦れる音と叫びにも似た姉の声で、突然そんな光景がおかしくなり私は声を上げて笑い始めた。つられたように姉も笑ったが、二人とも途切れ途切れでそれがまた笑いを倍増させた。
目的地と思われる場所にたどり着いた時には、私も姉もすっかり息を切らしていた。
「フッフッ・・、こんな楽しい車は久しぶりだよ。ハァ~」
「や~ね~、ハァ~、これでも一生懸命運転してたのよ!」
「そう?その割りには大笑いしてたけどな~!」
「だって、島田さんが笑い出すから──」
「フッ・・タイヤ無かったりして?」
笑いながら車から降りた私は身体を伸ばすように解放させる。少しすると姉も後に続くようにドアを開いた。
「外れてない?タイヤ?」
「大丈夫だよ!ちゃんと付いてるから」
と、大した確認もせずに私は答えた。暗かったからではなく、元々冗談で言っただけだったからだ。
「だけど、よく覚えてたね?」
薄暗い河川敷に明るい声を漂わせると、
「でしょ!──でもホント言うとわかったのは橋のところまでで、そこからはなんとなくこっちかなって感じで」
と、姉は歩み寄ると何かを差し出した。
「飲んで──」
手渡されたのは缶ジュースだった。私は軽く頭を下げそれを受け取った。
「フッ・・用意が良いね!」
「いや~ね、またそんな言い方して。どうせなら、気が利くって言ってくれない?」
「あ~、そうだね。え!?じゃ~!?」
「違うわ。でも喉が渇いたら困るかな~って買っておいたのは事実よ。ほら、もしまたこんなところだったら自販機ないでしょ?」
「フッ・・まぁね。でも、まさかここに来るとは思ってなかったよ」
「そうでしょ。驚いた?」
「ま~、ポンポン撥ねたのにはね」
「え!?あ~ハハッ・・。いやね。また思い出しちゃうじゃない」
クスクス笑う度に姉の身体は小刻みに揺れた。あるいは涙を流しているのではないか。姉の笑いはそれくらい愉快に感じられた。
「この間もこの辺だったかしら?」
「いや~、どうだろ?暗いしどこも似たようなもんだからね」
「そうね。でもホントはどこに行こうか迷ってたのよ。運転してると話に集中出来ないじゃない。どこかに止めなくちゃって思ってたら、あの橋が見えて」
「で、ここに来たと?」
「ええ。やっぱり込み入った話しはここかなって──」
姉の言葉に笑いを浮かべつつ、適当な石を見つけて座り込めば、姉もまた同じように私の近くに腰を降ろした。ジーンズで来たのはそのためかとも思ったが、聞いたところでは私の思い過ごしだったようだ。
「それで泊まらずに帰ったの?」
「あ~、バタバタしたあとだったから、どうしようかって迷ったんだけど、服も靴も濡れちゃってるし、次の日仕事だったろ」
「帰ってから奥さんには?」
「いや、もう寝てたよ。すっかり遅かったからね」
「それからは?」
「ま~、顔は合わせてるけど、特にはね」
「そう。辛いでしょうね・・・・離婚ってなると」
「フッ・・そりゃ結婚よりは辛いだろうな」
「・・こんなときによくそんな冗談が言えるわね」
「ま~、考えても始まらないってこともあるっていうか。それに実際してみないことには何とも言えないしね。もしかしたら水月さんが思うほど辛くないかもしれないし」
「私にはそうは思えないわ」
「フッ・・この場合もしの話だから。それに──」
「それに?」
「離婚するのは何も俺に限った話じゃない」
「それはそうだけど・・・・残された子供は辛い思いはするわ。私や恵理香のように」
「ま~ね。って言ったところで、誰も傷つかないなんて所詮無理なんだろうな。そりゃ~中には円満離婚なんてのもあるらしいけど、俺の場合はそうとも呼べないだろうし」
「それが前に話してた何らかの責任ってこと?」
「そう・・・・なるね」
ほとんど風のない穏やかな夜で、些細な声でもよく伝わった。いつしか目も慣れたのか、うっすらだが月明かりに姉の表情が見て取れる。
「それでもう・・・・押したの?」
「あ~、判!?」
「・・・・ええ」
「いや、まだだよ。フッ・・踏ん切りが付かないのか、なかなか簡単に押せなくてね」
「そうね・・・・期限みたいなのってあるの?その・・・・」
「はっきりした日ってのはないけど・・・・こんな答えで良いかい?」
「ええ・・・・十分よ」
私の問いに姉は首を小さく縦に振った。答えるまで多少の間があったのは、割り切れない部分もあったのだろう。
「それでどう思う?」
「え!?どうって?」
「年上の弟の話さ」
声のトーンに明るさを添えると、姉も表情に光を灯した。
「ハハッ・・あ~、それ~!随分離れた弟だからどうなんでしょう!」
「考えたらこれも難しい問題かもしれないな」
「そうでしょ~!あ~ぁ、順番で行けば私が先なのに~!」
「フッ・・まだ決まったわけじゃないけどね」
「え!?だって恵理香にはもう話したって?」
「ま~話したって言っても、別れるかもしれないってことだけだから」
「だけって!?」
「改めて結婚って話は、なんて言うか正式な手続きが済んでからにしようって」
「気持ちは決まってるわけでしょ?」
「ま~」
「だったら、早くあの子に伝えてあげて!」
「つまらないって言われるかもしれないけど、これは自分の中でのけじめだと思ってる」
「つまらないわよ!」
「フッ・・そうか。間違ってるかな?」
「ううん、間違ってないわ。言ってることは少しも──。それに恵理香だって島田さんの気持ちはわかってるはずよ」
「なら──」
「違うわ!それでも声にして言って欲しいものなのよ。女性って・・・・」
「・・・・・・」
「・・・・ましてやあの子の場合・・。だからきっと不安でたまらないんだと思うの」
「・・・・・・」
「そうよ・・・・。だからあの子あんなふうに・・・・」
窶れた恵理香が浮かんだのか、姉はそこまで言うと視線を落とした。
「だから・・・・お願い。あの子の不安を取り除いてあげて」
無論、私の脳裏にも同じものが過っていたし、姉の気持ちも痛いほどわかっていた。しかし、どうしても慎重に成らざるを得ないのである。従って徐に携帯を取り出し時間を確認したのも、言うなれば会話を打ち切ろうとしたがためのことだった。
「そろそろ行った方が良いんじゃない?」
俯いてた姉も私の言葉に腰を上げる。恐らく、これ以上話しても快い答えは聞けないと感じ取ったのだろう。
車に乗り込んだ私達は来た道をゆっくりと戻り始めた。走りだしてしばらくは無言で、車内には重苦しい空気が漂っていた。ダッシュボードの時計は既に十一時を少し回っていて、この辺りまでは車が違うことを除けば、ほぼ前回と同じ展開である。
ぼんやり外を眺めていた私は、ふと、このまま帰ったのではまた互いに後味が悪いのではないかと、視線の先を横に居る姉に移すのだが、その横顔が次第に恵理香と重なり合って行くように見え、思わず心の内を口にする。
「そりゃ~、言うのは簡単だけどな」
姉は何も言わず運転に専念している。
「簡単だし、水月さんの言う女性の気持ちってのもわかるつもりだよ。ま~、一応これでもそれなりに歳は食ってるからね」
宛らそれは独り言にも聞こえた。
「いくら離婚が確定的だからって、まだ役所で処理されたわけじゃないからな。そんな中途半端な状態で結婚がどうのって話しても、却って過去の傷をいたぶるだけじゃないかって思ってね」
「それで・・・・」
私の方をチラッと見てから姉はようやく言葉を漏らした。
遠い記憶でも回想したのか、短い台詞には少ながらず理解という二文字が伺えた。
「そう・・・・それでつい慎重になるんだろうな。ま~、その気もないくせして結婚しようなんて言う奴は、世間じゃ掃いて捨てるほどいるんだろうけど、男が考えているより辛いだろうな。女性が結婚って言葉で騙されるのは」
「でも、今のあの子はもう」
「フッ・・それくらい俺にだってわかるよ。たぶん、幸せな家庭を壊してまでってのがどこかにあるんだろ」
「・・・・それであの子」
「はっきり聞いたわけじゃないから、断定は出来ないけど──」
幸せと不幸、そして過去と未来との狭間で揺れている。私はいつの頃からか恵理香の顔付きを変えた原因はここにあるのではないかと、密かに考え続けていたことを初めて口に出した。
「それに明日のことは正直何とも言えないからね。もし万が一白紙にでもなったりしたら、それこそ大変なことになるんじゃって心配もあってね」
「白紙って!?」
思い掛けぬ言葉に姉は驚きの声を上げる。
「万が一って言ったろ。フッ・・この場に及んで言うことじゃないけど、俺だってこういう届けは初めてだからね」
「あ・・そうよね」
「いずれにしろ、ちょっとだけ時間をくれよ」
車が止めてある場所にたどり着いた時には、既に店員も帰った後なのか、暗がりの中に私の車だけがポツンと取り残されていた。スーッと車を隣に着けた姉は、即座にライトを消しエンジンを切る。私にはそれがまだ話の続きがある合図とも取れた。
「しばらく行かない方がいいかしら?」
私は黙って姉に顔を向けた。
「知られちゃったんでしょ?私と会ったこと」
「あ~、恵理香んとこ」
「行き辛くなるわね──そうなると」
姉の言うことも当然だと、私はしばし口を噤んだ。
「──でも、却ってどうかな~」
と、私は急に顔を見せなくなるのも不自然ではないかと、不意に浮かんだ疑問を口にする。姉もすぐにその意味を理解した。
「──それに様子も気になるから普段の調子で行ってみてくれないかな?」
「そうね。え!?島田さんは?」
「いや、もちろん俺も顔は出すけど・・・・」
「フフッ・・いっそのこと、居るときを見計らって行こうかしら?」
皮肉とも取れる姉の冗談は、同時に会話の終わりをも告げていただろうか。