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またの名を、気ままに自宅で映画鑑賞別館

交差点に舞う風(完)


『交差点に舞う風』 

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 大型免許を取得し順調に仕事をこなす島田へワン切り着電が入る。

詐欺ではないかと履歴から削除したが、ある日、見覚えのない

携帯番号からの電話は一度で切れることなく延々と鳴り続けた。

     ※この物語はフィクションです。登場する個人名・団体名などはすべて架空のものですが、

     素人による執筆の為、誤字、脱字等々、お見苦しい点があることを予めお断りしておきます。

 

 

 ふと目を開けると、白い壁が飛び込んだ。

(確か・・・・ピットに・・・・)

 そう思って辺りを見回すものの、工具は疎か鮮血で染まったタオルすら見当たらず、不思議なことに傷口もそこから来る痛みも消え失せていた。白一色の壁に包まれた世界は音も無く、時間の流れまでもがスローだったろうか。

 突然、背後からの気配にゆったりと視線を運べば、同化してしまいそうな白のワンピースを纏った恵理香が微笑んでいる。

「島さん・・・・」

 さらっとした黒髪が鮮やかなコントラストを放っていたが、私はその中に見える涼しげな目元に引き寄せられた。良かった。恵理香もすっかり元気になったんだと微笑み返す。

「ホントにごめんなさいね」

「フッ・・もう良いんだよ!」

「痛かったでしょ?」

「な~に!それにほら──」

 と、私は服をまくり上げて見せた。

「良かった!私・・それがずっと心配で・・・・」

「そうか・・でもこれでもう心置きなく一緒に暮らせるな」

「・・・・一緒に!?」

 私の呼びかけに恵理香は視線を落とした。

「そうだよ!結婚するって話しただろ?」

 少なからず後ろめたい気持ちがあるに違いない。だからこそ私は何も心配要らないと穏やかな表情で手を差し伸べたのだ。恵理香もうれしそうに手を上げ、あと僅かで互いの手が触れようとした時、

「あのね・・・・島さん。私・・やっぱり結婚は出来ない」

 と、気力を失ったかに恵理香は手を下げる。

「出来ない・・・・って!?」

 私は愕然とした。

「たくさん迷惑掛けて・・・・。その上結婚なんて言ったら叱られちゃうわ」

 優しい口調で話すと恵理香は静かに首を振った。

 何を言ってるのかと思った。そして、違うとすぐに否定しようとした。しかし、口が開くだけで声が一つも出ない。賢明に何か喋ろうと私はもがき苦しんだ。

「でも・・・・これだけは言える。私、島さんと出会ってからはホントに幸せだった」

 違う!違う!と首を振りながら恵理香を追った。すぐ側に居るのに触れることさえ出来なかった。私の目にはいつの間にか涙が滲んでいた。

「ありがとう・・・・ホントに・・・・ごめんなさい」

(恵理香っ!!───)

 心の中で名前を叫んだ瞬間、私の目にまた別の白い壁が映し出された。ただ先ほどとは違ってここは壁も現実的で、ライトも扉も備えられていた。少し離れた場所に圭ちゃんが座っていて、白い服を着た見知らぬ人の顔も見えた。その感じからして私はベッドで寝ているのだろうと思った。何かを話しただろうか。圭ちゃんは心配そうに私を見つめている。そう思った途端、白い世界は再び暗い闇に包まれた。

 

 次に目を開けた時もやはり圭ちゃんが見えたが、同時に様々な音も聞こえた。そして、長い眠りから覚めたような清々しさとけだるさが感じられた。

「島さん!?気分はどうですか?」

「ああ・・・・まぁまぁって感じだよ」

 うまく状況を言い伝えられない私は、そう言って辺りに視線を運んだ。

「ここは!?」

「病院ですよ」

 圭ちゃんの笑いはとても穏やかに見えた。

「病院!?」

 その言葉に思わず起き上がろうとしたが、圭ちゃんの声よりも早く腹の辺りからの激痛が私を制止し、私の記憶の糸も同時に繋ぎ始めてくれた。

「じゃ!?・・・・もしかして圭ちゃんが!?」

「いや~!俺は救急車呼んだだけですよ──」

 と、圭ちゃんはその時の経緯を生々しく聞かせてくれた。どうやら私が意識を失った後で忘れたポップを取りに戻ったらしい。

「──そうしたら島さんが血まみれになって倒れてるじゃないですか!?いや~びっくりして腰が抜けるかと思いましたよ!」

「フッ・・戻ったんだ・・取りに!?」

 圭ちゃんにしろ私にしろ、助かったからこその笑みだったに違いない。一歩間違えば恵理香との結婚は疎か、ここに居ることさえわからなかったと、私は事の重大さを思い知らされるのだった。

「あ!そういえばライター俺が預かってますからね」

「ライター!?・・・・あ・・そうか」

 ピットでタバコを点けて確かポケットに・・・・。生憎そこから先の記憶は辿ることは出来ず、恵理香からもらった金色のライターをぼんやり思い描いていると、

「島さん・・・・そのケガって片付けてる時なんですか?」

 と、圭ちゃんが曖昧な顔を見せる。

「やっぱり・・そうは見えねぇか!?・・・・」

「って言うか、救急隊の人がそんなこと話してたんですよ。なんていうか・・・・これは誰かに刺されたんじゃないかって──」

「・・・・・・」

「もちろん、俺は人から恨みを買うような人じゃないとは話しましたけど・・・・」

 続きは言わずとも聞こえるようだった。それはまた安易な偽造工作の終わりをも通告していた。しかしながら、これだけは恵理香のためにも口にするまいと思った。

「いずれにしろ助けられたよ・・・・ありがとう」

「いや~、俺はただ当然のことしただけですから」

 照れ臭そうに笑う圭ちゃんに私も表情を緩めた。

「そういや・・・・今、何時かな?」

「え~と・・もうじき三時になるとこですけど」

「三時・・・・。フッ・・半日以上も寝てたんか・・・・」

 どうりでよく寝た訳だと呟くと、圭ちゃんはそれをすぐさま訂正した。

「いや、島さん。今日は水曜なんですよ」

「水曜!?」

 確かあの日は月曜の夜だったと、思い掛けぬ時間の経過に私は顔を顰めた。

「ずっと島さん寝たままでしたからね。まぁ~それでちょっと昨日は店を閉めちゃったんですけど、今日はシジミちゃんが留守番してくれてますから。そうそう、智美もさっきまで居たんですよ───」

「智ちゃんも・・・・そ~・・」

 気のない返事に圭ちゃんはしばし私を見つめてから、

「──大丈夫ですよ!『ペンペン草』の件はまた次回ってことにすれば。一応、彼女にはこの件も合わせて俺の方から連絡しておきますから、あとで番号教えてください」

 と、右手を挙げて笑った。頼むよと口では答えたものの、頭に浮かんだ恵理香が消えることはなかった。

 ちゃんと寝られただろうか・・・・。仕事には行けたのだろうか・・・・。正直言ってこの場からすぐにでも電話したかった。

「そういえば・・・・まだ聞いて無かったですよね?名前?」

「あ~!?」

 今夜話すはずの名前が喉まで出かかった時である。

 

 トントンと言うノックの音と共に、処置に当たったと思われる医師と担当らしき看護師が私の元を訪れ、容体などについていくつか質問を受けた。経過は順調だと言ったあとだったろうか。

「実は警察の方がお話を聴きたいとお見えになってるものですから──」

 と、医師はドアの向こうに居る二人の男を招き入れると、そのまま看護師を連れて病室から立ち去った。扉から現れた年にして五十代後半の男は、自分らの身分を明かしたあとでベッドの脇に歩み寄った。もう一人のやや若い男はドアの近くに立ち、一旦は圭ちゃんに退室を求めたが、私が身内のようなものだからとそれを拒んだ。どちらにしろ、会社関係の営業とは掛け離れた雰囲気を漂わせていた。

「御怪我の方はどうですかね?島田さん」

「あ・・ま~なんとか・・・・」

「そうですか。あ~、どうかそのまま──」

 身体を起こそうとする私に右手を挙げると、背広姿の男はそのまま引き寄せた椅子に腰を降ろした。

「あの~・・・・刑事さんがどうして!?・・・・」

「いや、なに。ちょっとお尋ねしたいことがありましてね」

 刑事はそう言って不審そうな私の問いかけを軽く受け流した。

「はぁ~!?何でしょう?」

「実はその怪我についてちょっと?」

「ケガ!?・・・・ちょっとって言うと!?・・・・」

 それとなく惚けたつもりだった。しかし、刑事の目には明らかに動揺が映り込んだようにも見えた。

「ま~、例えばですよ。誰かに刺されたのを島田さんが庇ってらっしゃるとか!?」

「いや・・・・別に庇ったりは・・・・」

 咄嗟に私は圭ちゃんから聞かされた話を思い浮かべた。

「そうですか・・・・。実は私共刑事がわざわざ出向いたのにはわけがありましてね」

 恐らく救急隊の方から話が伝わって、念のために事情を聴きに来たのだろうと、その時点までは思っていた。だから私は密かに惚け通す覚悟を決めていた。

「岩崎さんって女性はご存じですよね?」

「岩・・崎・・」

「ええ。岩崎恵理香さんです」

「あ・・ええ。まぁ・・彼女が何か?」

 だが、そんな浅知恵も恵理香の名前を聞いて一転した。四方や恵理香が警察に・・・・。

 最悪のシナリオが頭に過ったからだろうか、私の胸の鼓動はトクトクと激しく音を立てた。無論、私の口調にはありありと動揺が滲み出ていた。刑事も私の顔色に何か察したようだ。

「そろそろどうでしょう?お話しになっていただけませんかね?」

「はぁ・・・・・・」

 窮地に追い込まれた心境だった。すべてを話してしまおうとも思った。それでも私の口は堅く閉ざしたまま開こうとはしなかった。重苦しい時間は圭ちゃんにとっても同じだったのか、ずっと俯いたまま黙り込んでいる。

 やがて刑事は痺れを切らしたとばかりにこう切り出した。

「わかりました!じゃ~率直に申し上げましょう。実は彼女があなたを刺したのではという疑惑が持ち上がりましてね」

「・・・・疑惑・・ですか?」

「ええ。ま~それで念のためと担当した医師にも話を訊いたのですが、ま~医者も言うなれば私達と同じプロですからね。その傷がなんによるものなのかはある程度わかると言いますか」

「・・・・・・」

「それが仮に事実だとすれば、不注意による怪我ではなく傷害って話しになるんですが・・・・」

 傷害・・・・。さすがにこの言葉は心に重く突き刺さった。

 私はしばし息を止め、あの夜の光景を振り返っていた。涙ながらに頷く恵理香の顔が私の脳裏に浮かんだ。

「警察に行ったんですか?・・・・その・・恵理香が?」

 私は力無く尋ねた。

「いえ・・・・」

「じゃ~・・電話か何かで!?」

 それも違うと刑事は黙って首を振った。その瞬間、私の頭は疑問で埋め尽くされた。

 おかしい・・・・。だとしたらこの話はどこから沸いて出たんだ。

 様々な憶測も空振りにしかならなかったが、逆に確証がないのかもしれないと思い始めたのも事実である。

「それじゃ~疑いってのもおかしな話になりませんか?確かにケガをした夜は恵理香のとこへ行きましたよ。でもその時は何も無かったんですから」

「・・・・・・」

「恵理香からも聞いて無いわけだし、何よりも当の本人が自分の不注意だと言ってるんですから、間違いないじゃないですか」

「おっしゃってることはよくわかります」

 笑いながら話す穏やかな声に刑事は静かに頷いた。

「万一・・・・。もし恵理香が誰かに喋ったとすれば、それは恵理香の思い過ごしか何かじゃないですか」

「思い過ごし!?」

「ええ。刑事さんは御存じないでしょうけど、このところの恵理香は精神的にちょっと不安定なところがあって、恐らく何かの拍子にそんな錯覚に陥ったんじゃないですかね」

「錯覚ですか・・・・」

 刑事は何かを考えるように頭をポリポリと掻き始めた。

「実際問題、私なんかも終わってもいない仕事を終わったつもりでいるなんてことはよくありますからね」

 と、同意を求めるかに視線を送るが、圭ちゃんはじっと顔を下げたままだった。

 ドアの近くに立つ若い刑事も無言で私達のやり取りを見守っていた。

「それにあの夜は二人で結婚の約束をしたんですよ。なのに恵理香がなんで私を刺さなきゃならないんですか?」

「結婚の約束を!?・・・・そうでしたか。でしたら尚のこと庇い立てしたくもなるでしょうね」

「庇い立てもなにも!?・・・・。それにどうして刑事さんは恵理香をそこまで犯人に仕立てようとするんですか?」

 きっと何かを出し惜しんでいる。そう思った私は逆に刑事を問い詰めた。

「いや・・なにも仕立てようとして来た訳じゃないんですよ」

 と、照れ臭そうに笑ってから、刑事は大きく息を吐き出した。

「わかりました───」

 区切りのような刑事の口調に、私は俄な緊張を感じた。

「実は彼女の部屋からあなたを刺したという書き置きが見つかりましてね」

「書き置き!?・・・・ですか!?」

「ええ。それで私共が裏と言いますか、事実の確認に出向いたわけですが・・・・」

 趣が掴めたわりには心も顔もなぜか複雑だった。そのせいもあってか、次の言葉が出るまでには若干の時間を要した。

「書き置き・・って・・・・どういう!?え!?・・じゃ・・恵理香はそこには!?」

 途切れ途切れの声に刑事も頃合いを感じたのだろう。病室に低い声を響かせ始める。

「今日の正午過ぎぐらいに彼女、つまりは岩崎恵理香さんが部屋の中で亡くなっているとの通報を受けまして───」

「!?・・・・な・・亡く!?・・・・」

 私は全身に電気を浴びたように呆然となった。そして、身動き一つすることもなくただ目を見開いていた。視界の中に辛うじて映ったのは、瞬時にこちらを見つめる圭ちゃんの顔だけだった。

「そ・・そんな・・・・馬鹿な!?」

 そう言ったきり私の言葉は途絶えた。すべてが信じられず、これはまさに夢の続きだと思った。見たくもない悪い夢だ。早く目を覚ませと自分に言い聞かせた。

「──彼女もともと無断欠勤するような人じゃなかったらしくて、それが昨日今日って無断で休んだもんですから、職場である西教習所の人もおかしいと思ったんでしょう。で、あっちこっちに連絡した揚げ句、最終的には彼女のお姉さんのところへ連絡が行ったようでして──」

 ショックで頭まで麻痺してしまったのだろうか。刑事の言葉が脳まで到達しなかった。

「・・・・じゃ~・・水月さん・・が!?」

 正直言って何が私の口を動かしているのかわからなかった。淡々とした口調にはもはや感情すら存在しなかった。

「ええ。お昼休みに見に行ったら駐車場には車があるし、ドアには鍵が掛かってるしで、さすがに変だと思ったんでしょうね。ま~それで慌てて管理人に連絡してドアを開けてもらったらしいですが───」

「そこに・・・・書き置きが?」

「ええ・・」

「・・じゃ・・私のことも水月さんに!?」

 刑事は無言のままコクリと頷いた。

「・・・・自殺・・ですか?」

「現状からして恐らく──」

「・・そう・・・・どこに・・居たんですか?」

「ベッドに横たわってましたよ」

「・・・・ベッドに」

「右手には果物ナイフを握り締めてました・・・・それで何と言いますか手首を──」

 刑事がそこまで話すと、突然、圭ちゃんが泣き崩れるように病室から飛び出して行った。 通路から届く聞き馴れない声が私の目頭をじりじりと熱くさせた。私は静かに目を閉じ大きく息を吸い込んだ。そして、胸に溜まった薬品のような香りを吐き出しながらゆっくり目を開けた。

「・・・・事件になるんですか?」

「刺したのが事実であれば、そう成らざるを得ないでしょうね」

「・・・・書き置きがただの思い過ごしだったら?」

「いくらなんでも思い過ごしってことは──」

 それまで立ち尽くしていた若い刑事は、私の言葉に思わず歩み寄ろうとしたが、すぐに年配の刑事が右手で抑え込んだ。

「そうだとしたら、そう処理するまでです」

「・・・・そう!?」

「ええ。つまりその島田さんの怪我は自分の不注意によるもので、恵理香さんの書き置きは精神不安から来る錯覚だったと──」

「でも・・それじゃ~!?」

 尚も食い下がろうとする若い刑事に、年配の刑事は顔を左右に大きく振って見せた。

「最初にお話した通り私達はあくまで事実を確かめに来ただけであって、亡くなった恵理香さんを無理やり加害者に仕立てようってわけじゃないんですよ。ま~出来ることなら恵理香さん自身に話しを訊ければ一番良かったんでしょうが・・・・」

 帰り際に漏らした刑事の声がすべてを集約していただろうか。

 病室に一人取り残された私は、孤独を痛感しながら恵理香との最後の交差点であろう白い世界を回想させた。あれは決して恵理香の本心ではない。

 そう繰り返してみたところで目尻から流れ落ちる涙を止めることは出来なかった。

「ばかやろう・・・・ばかやろう・・・・」

 私は心の奥底からわき出る言葉を天井に向かって何度も呟いた。

 

 

───今年もあと二週間足らずとなったある日のこと。

 

 時間の経過で心と身体の痛みが多少薄らいだこともあり、私は思い立って恵理香の実家に足を運んだ。予め連絡しておいたため姉が家の前で待っていてくれたが、3K程度の一戸建のアパートは恵理香の所とは対照的なほど手狭に感じられた。

「驚いたでしょ?あんまり狭いんで──」

「いや・・・・」

 そう応える私に姉はクスリと表情を緩ませた。その様子からして相変わらずウソが下手ねと言ってるのだろうと思った。

 荷物の置かれた廊下を擦り抜けるように六畳間へと通された私は、姉の言われるまま適当な場所に腰を降ろし辺りを見回す。収納しきれない様々なものが部屋の広さを一回り以上狭く見せていた。すぐさま姉はお茶を手に舞い戻った。

「以前はもっと広くて大きな家に住んでたんだけど、父親が逃げちゃって支払いが出来なくなったでしょ。だからそこを売り払ってここに移り住んだの・・・・」

「そう・・・・」

 離婚して家を始末する。どこにでも似たような話があるのだと思った。

「恵理香にしてもきっとこんな手狭なところが嫌になったんでしょうね。──今じゃあの子の荷物でもっと息苦しくなっちゃったけど」

 姉はそう言いながらスカートの皺を撫でた。

「葬式にも顔出せなくて・・・・すまなかった」

「・・・・ううん。あなたは入院してたんだから・・・・それに謝まらなきゃいけないのは私の方よ」

 と、姉は妹の犯した罪をはじめとして、見舞いに行けなかったことや、さらには恵理香を庇い立てしてくれたことについても頭を下げた。

 妹を返して。そう罵られる覚悟で来た私には、少し姉の言葉は予想外にも聞こえた。

水月さんも・・・・いろいろ大変だったね」

 気苦労からだろうか。心なし窶れた感のある姉を労うと、

「やめてよ。そんな・・・・今日は泣かないつもりでいるんだから」

 姉はそっと俯きながら笑いを繕った。

「別に泣いたって良いじゃないか。俺しか・・・・!?」

 そう呟いた途端、私は奥の部屋に視線を移した。

「そういえば・・お母さんは?」

「あ・・お母さん・・・・実は入院しちゃったの」

「入院!?」 

「ええ・・・・恵理香のことが堪えたんでしょうね。でもここんところいくらか落ち着いてるみたいで───」

 ある意味、それは姉自身の言葉にも聞こえた。妹の突然の死だけでもただ事ではないのに、通夜から葬式、そしてコーポの引き払いまで恐らく姉がこなしたに違いない。加えて母親の入院である。それこそ悲しみに暮れてる暇さえ無かったのではないかと私は姉の横顔に胸を痛めた。

「線香・・・・あげさせてもらっていいかな?」

「あ・・・・ええ・・・・」

 キッチン奥の四畳半に私を案内すると、姉は狭苦しそうに置かれた仏壇に火を灯す。 置く場所の都合か予算かは別にして、思いのほか仏壇はこじんまりしたものだった。強い線香の香りに取り囲まれつつ、私は立ったままじっと四角い枠に包まれた恵理香の顔を眺めていた。

「恵理香!・・・・島田さんが来てくれたわよ」

 姉の声に引き寄せられるかに近づくと、私は力無く仏壇の前に腰を降ろす。線香に手を伸ばしたのはしばし遺影を見つめてからで、正直、この時点でようやく現実に戻った気がした。何も言わず五分くらいぼんやりしていただろうか。

 その後、私は身体の向きを変え姉に深々と頭を下げた。

「馬鹿よね・・・・やっと幸せを手に出来るとこだったのに」

「実はひょっとしたらウソじゃないかって思ってたんだけど・・・・」

「私も・・・・夢見てるんだろって朝起きる度に思ってたわ。でも目を覚ますと線香の匂いがして・・・・」

 姉は自分を励ますように笑って見せた。言葉が見つからなくて私は黙り込んだ。

「あ!・・そう!・・」

 突然、姉は思い出したように仏壇の奥から白い紙切れを取り出し、

「恵理香の書き置き・・・・。刑事さんから聞かされたでしょ?」

 と、言って私に差し出した。無言のままそれを受け取ると私は少し眺めてからポケットにしまい込んだ。

「・・・・読まないの?」

「ああ・・・・あとでゆっくり───」

「どうして?今じゃダメなの?」

「まぁ・・今読むとさすがに泣きそうな気がして・・・・」

「泣いたって別に良いじゃない。私しか居ないんだから」

 聞き覚えのある台詞に私は僅かばかりの笑みを浮かべる。

水月さんの前だからかな!?」

「私の!?・・・・嫌らしい人ね!」

 と、姉は呆れたように呟いた。

「優しさは見せるくせして弱いところは見せない。そうやって女の心を引っ張る男は一番嫌らしいのよ」

「フッ・・そうかもしれないな」

 あえて否定もしない私に姉も少々戸惑ったのだろう。それ以上その話題に触れることはなかった。

 線香の香りに沈黙が加わり始めた頃だったろうか。私は姉に誘われるまま近くの公園まで足を運んだ。冬の強い日差しと北からの風が公園内を陣取っていた。

「狭い家に閉じこもってると、時々こっちまで憂鬱になっちゃうことがあって・・・・恵理香もきっとそれが嫌になったんでしょうね」

 姉はそう言ってベンチに腰を降ろした。黙って私も隣に続いた。

「でも・・私は長女だからそんなことも言えないし・・・・ホントのこと言うと恵理香が死んだあと私も死のうと思ったの・・・・」

「死ぬ!?」

「ええ。だって生きてても辛いだけだから・・・・」

「別にそんなことは・・・・」

「ううん。あなたにはわからないのよ。仕事が終わると家の用事とかお母さんの面倒とかで束縛され続けるのがどんなのか・・・・」

 恵理香を失ったことで今まで保って来た気丈な部分が剥がれ落ちたのか、姉は私に対して弱い一面を覗かせる。とは言え、何ら驚くことではない。

 気丈と言っても姉は恵理香より二つ年上なだけなのである。置かれた環境から実際の年齢よりは十歳は先を行ってるようにも思えたが、恐らく姉ももう抱えた荷物が手一杯の状態なのだろう。

「でも・・恵理香は幸せだったわよね」

 姉はさばさばと空を見上げた。

「一時でも女としての幸せを夢見られたんですもん」

「女としての!?・・・・でも水月さんにだって、これから来るだろ・・そんな日が──」

「こんな私にも?」

 ポツリ呟いてから姉は私に視線を向ける。

「ああ・・!人生いろいろ交差点があるからね」

「交差点!?・・・・出会いの交差点ね・・・・」

「・・・・って言っても生きてく限り苦労の方が多いんだろうけど───」

「そうね・・・・考えたらあなたも苦労の連続だったわね」

「フッ・・。お互いにね」

 と、私はブランコに向かう家族連れを眺めた。

「これから・・・・どうするの?」

 視線を落とす姉の声は乾いた地面に吸い込まれた。

「これから!?・・・・そうだな・・・・めそめそしてても始まらないから、新しい恋でも───」

「新しい!?」

「・・・・薄情な男と思われるだろうけど」

 労るように顔を向けると瞳が重なり合った。一瞬それが恵理香に見えた。

「・・・・だめかな?」

「ううん、その方がきっと恵理香も喜ぶんじゃない?」

「───もっとも言うほど簡単には見つからないだろうけど!」

「そう!?・・・・意外と灯台もと暗しってこともあるんじゃない!?」

 黙って姉を見つめたあとで、私は空に向かって穏やかに微笑んだ。

 

                                   完

 

この度は『交差点で舞う風』に最後まで御付き合い誠にありがとうございます。『交差点で見た色』から二年という充電期間を経て書いたのが今回の舞う風になります。はてなでの連載はこれにて終了となりますが、島田がタイムスリップし過去の恵理香に会うという2021年に書いた続編をカクヨムの方で連載を始めています。ご興味またお時間のある方は以下のリンクの方からお越しいただければと思います。尚、そのほかにも新聞で入選になった掌編や、歌詞などのコーナーもありますので、よろしければ引き続きお付き合い願えれば幸いです。              

                                知備語理

 

kakuyomu.jp

交差点に舞う風(27)

『交差点に舞う風』 

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 大型免許を取得し順調に仕事をこなす島田へワン切り着電が入る。

詐欺ではないかと履歴から削除したが、ある日、見覚えのない

携帯番号からの電話は一度で切れることなく延々と鳴り続けた。

     ※この物語はフィクションです。登場する個人名・団体名などはすべて架空のものですが、

     素人による執筆の為、誤字、脱字等々、お見苦しい点があることを予めお断りしておきます。

 

 

 ゆらゆら揺れる振動で目を開けると、寝ぼけ眼に真由美の顔が広がった。

「お願い起きて!もう引越し屋さんが来る時間なの!」

 寝付きが悪かったことなど知る由もないだろうが、私は真由美の言葉に慌てて身支度へと向かった。実は恵理香のところから帰って来たのも、いわば真由美と交わした約束事のためだったのだ。約束事は大まかに二つ。もっともこれが出たのは離婚届を提出した後。つまりは夫婦としての繋がりが解けたからこその会話とも言えよう。ピリオドを迎えた二人は妙に穏やかで、会話もその日の空のように晴れやかだった。

 真由美の見送りを背に外に出ると、青い制服を纏った女性とばったり顔が合った。

「おはようございます!」

 爽やかな声は同時に手際の良さを感じさせたが、道沿いに駐車したトラックからも、すぐに彼女が引越し屋の社員であることは把握できた。トラックの周辺には男性が四人。その前のワゴン付近に女性が三人ほどいただろうか。その人数からして、恐らく午前中で作業を終えるために増員させられたに違いなく、それらプランのすべてが実家の差し金によるものだと思った。

 何もお前達が荷物運びで骨を折ることはない。お金は全部出してやるから楽しく帰って来なさい。そんな親父の声が聞こえるようだった。

「あれ!?今日もお仕事なんですか?」

「ええ‥。ちょっと急な仕事が入りまして───」

 作り笑顔で車に乗り込んだものの、やはり仕事を装って店に向かうのは何か抜けた気がするものである。

───「『レインボー』が開くまでどこかで時間潰しててくれない!?」

 約束の一つでもある真由美の提案も、言い換えれば私への配慮とも取れなくはない。確かに私とて自分の荷物が取り残されて行く様を、ずっと見続けているのは忍びないものがある。それを真由美も察したのだろう。

 日曜ともあり店へは普段よりも早く着いた。真由美との待ち合わせまでの時間をどう過ごそうかと思った時、ふと姉の顔がぼんやり浮かんだ。

《・・・・もしもし》

「あ、島田です」

《あ~!誰かと思っちゃった!───》

 なかなか出なかったのは店の電話を使ったからだろうが、思った以上に元気そうな姉の声に、まずはほっと胸を撫で下ろした。

「昨夜は無理に帰しちゃったみたいで悪かったね」

《ううん、私もあそこで帰って来て良かったのかなって──。それより恵理香の方はどう?》

「とりあえずは落ち着いたけど──」

《そう・・・・そのまま泊ったの?》

「いや・・・・でもあれから一時間くらい居たかな」

 と、私は何事も無かったように応えた。つまらぬことを言って姉の口調に水を差すこともないと思ったからである。やがて姉は薬のことを私に尋ね、恵理香から預かったと伝えると、姉の声はさらに穏やかさを増した。

《でも、驚いたわ──》

「いや~俺だって一時はどうなるかって──。それはそうと大丈夫だった?」

《ええ・・。痛みはもうないから・・・・》

「そうか‥でもまさか手をあげるとは思わなかったよ」

 私はしみじみと漏らした後、昨夜の出来事を回想した。

《そうね。私も同じ気分よ。正直あんな恵理香を見るのは初めてだもの》

 と、言って姉は薬の影響を懸念した。またその薬を管理出来なかった自分にも少なからず責任があるのだと声を弱めた。

《でもちょっと、格好悪かったかしらね!?》

「どうして?」

《だって、なんだか知らない人からみれば、本妻に愛人が負けたって感じだったじゃない!?》

「フッ‥。言われてみればそうかな」

 と、私は姉のジョークに顔を緩ませた。

《あ‥もしかして下着とか見えちゃってました?・・・・でも考えたら前にも見たのよね?》

「いや、あの時は暗かったから──」

《ってことは今回は見えたってことね?》

 鋭い姉のツッコミに思わず笑いを漏らしてから、今夜も行ってみると伝えた。

《ぜひそうしてあげて!──》

 受話器を置きタバコをもみ消すと、私は二つ目の約束に向かうべく『ショッピングモール・レインボー』へと車を走らせた。真由美も運び出す荷物の指示を終えて、今頃はちょうど向かってる頃だろう。時計を横目にこれから起こるであろうシーンを思い浮かべた。

 郊外に建てられた『レインボー』は広い売り場と様々なテナントを持つショッピングセンターで、子供達にもすこぶる好評のスポットだ。

 広大な駐車場に車を乗り入れたのは待ち合わせの五分前だが、既に真由美らが私を待ち侘びるかに立っていた。

「──待った?」

「いいえ、私達もちょうど今来たところ!」

 私の明るい声に爽やかな笑顔で答える真由美。結婚当初よりも寧ろ独身時代を髣髴させる表情であったかもしれない。

「じゃ~、行こうか!」

 早速とばかりに歩き出すと私の両手を子供たちが掴んだ。家族揃っての買い物。

 実はこれが二つ目の約束だった。最後ぐらい水入らずに楽しく過ごそう。いつの間にか真由美とこんな話が出来上がっていたのだが、真由美も私も暗黙の了解なのか睦まじい夫婦を演じた。今日はどんな我がままでもと用意した金は見る見るレジへと吸い込まれて行く。それでも私の顔は笑顔で溢れた。私からの最後のプレゼントとも知らず、子供達は喜びはしゃぎ回っている。

 婦人服コーナーで洒落た帽子を手に取って被せると、真由美はニコッと笑って気取って見せた。逆に紳士服売り場ではネクタイを私の首に宛がい子供達に批評を尋ねる。子供達は得意そうな私に向かって似合わないと笑った。ゲームコーナーにも、おもちゃ売り場にも足を運んだ。私は子供に手を引かれ、あるいは手を握り縦横無尽に店内を歩き回った。

 小さい里美の手もやや大きくなった千明の手の感触も記憶に留めようと努めた。真由美の手も握った。懐かしくも新鮮にも思える温もりが伝わった。子供達の冷やかしを受けながらも、これでお別れねと言わんばかりに真由美も強く握り返した。

 シックな秋の装いの真由美はいつになく綺麗で、今だったら思い切り抱けるのではないかと思ったが、それも終わり際だからこその錯覚なのかもしれない。とは言え、どこまでが演技なのかわからなくなっていたのも事実で、きっと他人の目にも世界一幸せな家族。もしくは愛し合ってる夫婦に見えたに違いない。

 沢山の荷物を手に二階のレストランへ入ったのはお昼を少し回った頃だった。窓際の席に腰を下ろし外を眺めると、既に広々した駐車場は車で溢れていた。

「──引っ越しの方はどう?」

「もう積み終えて向かってる頃じゃないかしら!?」

 子供達が席から離れた隙を見計らって私達はそれとなく話し合った。

「お蔭で楽しく過ごせたよ」

「あなたこそ、良い父親振りだったわよ・・・・良い夫と言うべきかしらね」

「フッ‥。そうか。このまま行くんだろ?」

「ええ。鍵はポストの中にって話してあるから」

 私は黙って頷いた。食事を終えた後、私達は真由美の車にまっすく向かった。

「先に行ってるからお父さんも早く来てね──」

 トランクに荷物を積むと、千明はそう言って私の腕を掴んだ。

「パパ、はやくね!──」

 里美も千明を真似て見せる。笑顔は最早限界に近かった。

「私がおじいちゃんにお父さんと一緒にタバコするようにお願いしとくから!」

「そうか・・・・」

 私は喉をギュッと押さえ込んで涙腺の緩みを止めた。そんな光景に真由美も僅かながら鼻を啜った。

「それじゃ‥元気で‥」

「子供達を頼むな・・・・」

 最後の会話は短かったが何年間という生活が集約されていたのだろう。

 車がゆっくりと動き出すと、チャイルドシートの里美は小さい手を左右に振って笑った。後部座席の千明は私を追うようにリアガラス越しに手を揺らす。私を呼ぶ声が耳に届いた瞬間、私は思わず口を真一文字に結んだ。そして遠ざかる車に向かって手を振り何度も二人の子供の名を心の中で叫んだ。今にも出そうな声と涙と足を抑え込んで、ただひたすら手を振り続けた。ほとんど最後は飛び跳ねて存在を示した。そんな私にとって恥ずかしさなど二の次でしかなかったが、繋がっていた僅かな糸がプツンと切れたショックは予想以上に力を奪って行ったようだ。

 何かをする気力を見失った私は、フラフラと外に設けられた喫煙席のベンチに歩き、タバコの煙と共に時を過ごし続けた。やがて私は何かに引き寄せられるかに、再び建物の中に足を踏み入れると、つい数時間前と同じコースを辿り始める。紳士服を始めとして、婦人服売り場もゲームコーナーにも足を運び、おぼろげに残る記憶と今の自分の視線を重ね合せた。帰宅したのは暗くなってからだった。

 灯りの消えた家のポストには真由美の言葉通り鍵が残されていた。

 キーホルダーを失った単体の鍵を使って玄関を開けると、誰も存在しないという静寂が私を待っていた。静かだった──。

 ひんやりした空間にライトを灯せば、男物の靴だけが数足、壁に沿って揃えられていて、傘立てには黒く大きな傘が一本、寂しそうに佇んでいた。住宅展示場を見るように、次々と部屋の電気を点けて回った私は、その都度中央で大の字に寝転んだ。狭いと思ってた部屋はどれも広く、吸い込む空気からは家族の匂いが感じられなかった。とは言え、生活に必要なものは置いて行ってくれたらしい。洗面所の洗濯機もリビングにあったテレビもそのまま残されていた。

 妻としての最後の心配りを胸に、その残された片手鍋でラーメンを作って食べると、夜は子供達が昨日まで寝ていた和室で横になった。

「ここも時間の問題だな・・・・」

 私は天井を見つめながらポツリ呟いた。

 月曜の朝のこと──。

「昨日来たんですか!?」

 私を見るなり圭ちゃんはそう言ってニヤッと笑った。挨拶代りの声にすぐ私はタバコの吸い殻を連想したが、わざわざ口に出すこともせず、引っ越しを始めとした日曜の行動を話して聞かせた。気を遣わせまいとしたのか、一晩という時間を過ごしたからか、私の口調はさばさばとして明るかった。圭ちゃんとしても多少それで気持ちは紛れたのかもしれない。

「───誰も居ない家ってのも寂しいもんですね」

「まぁな。ひっそりしてて、妙に広々しててさ!」

 私は昨日見た光景をそのまま笑い話に置き換えて話した。

「───あそこも売りに出すようかな~!?」

「・・・・やっぱり住み辛いですかね!?」

「フッ‥。世間体もあるからな~!しばらくはアパートか何かに住むよ」

 例え家族の香りが失せたとしても、思い出という記憶までは消し去ることは出来ない。またそれを断ち切ることによって私は新たなスタートが切れるのだとも思った。

 結局、それ以降は圭ちゃんも私もその話題を口に出すことはなく、いつものように今日の予定である仕事を淡々とこなして行った。夕方───。

「───打ち合わせ!?」

「ええ。でも片付けてからでも間に合いますから!」

「何言ってんだよ!あとは俺がやるから、早く行ってやれ!」

 たまたま耳にした言葉から、圭ちゃんをけしかけるように送り出し、笑いながら再びピットに向かって歩き始めた私は、

「あれ!?忘れてっちゃったよ」

 と、カウンターの上に置かれたポップに足を止める。それは今日の午後、浅利が自ら作ったと言って持参したものだった。

「出来は悪くね~んだけどな~」

 水曜から売り出される新商品の広告はそれなりには良く出来ていると思った。しかし、店内のすべてを手掛ける自称ポップ職人の圭ちゃんには、ダメ出しの対象にしかならなかったようで、明日までに新しく作成するポップの原案としてそれを持ち返ることになっていたのである。相手が式の打ち合わせでは無理もない。私は誰も責めぬと言った笑みで仕事の後始末を続けるのだった。

 サニーは行く途中で引き取ればいいと、予め自動車屋には六時頃に行くと連絡しておいた。片付けが多少手間取ったこともあって、恵理香のところへは七時十分頃に到着したのだが、部屋に向かって歩き始めた私はふと首を傾げた。いつものコーポの隅に灯っている明かりが無いのである。駐車場には確かにラシーンは止まっていた。あるいは姉と食事にでも出たのかと、すぐに携帯に掛けるが聞こえるのは呼び出し音だけ。そこで不意に頭を擡げたのが、具合が悪くて寝ているのではないかということだった。ただそれが薬の影響と結び付いてしまったのだろう。ゆったりとした足取りは次第に早くなり、扉の前に立つのとチャイムを押すのはほとんど同時だった。

 ピンポ~ン♪・・・・ピンポ~ン♪・・・・。

 チャイムの余韻の後でドアを数回ノックし、

「恵理香!?・・・・」

 と、やや控え目に名前も呼んでみるが、応答らしき声は何も返ってこない。ならばともう一度携帯を取り出した時である。鍵を開けたと思われる音に私は視線を向ける。

 居るじゃないか───。

 僅かな音にホッと表情を緩めたものの、今度はいつまで経っても開く気配のない扉に、私は疑問そうな顔でしばし立ち尽くしていた。気を取り直して気配を伺うかにゆっくり扉を引くと、通路の明かりが徐々に部屋の内部を照らし始め、見覚えのある暮らしが様々な色を取り戻して行った。目を凝らしながらドアを半分ほど開けた時だったろうか。

 恵理香らしき人影が視線の先に映し出された。

 光の届きにくい隅の方に立ち、恵理香はじっとこちらを見ている。はっきりと顔など見えなかったが、ただならぬ雰囲気だけは十分に伝わった。足を踏み入れて扉を閉めると目の前に映るすべてのものが形と色を失った。

「・・・・居ないんかと思っちゃったよ」

 暗がりに包まれてからようやく私は口を開いた。恵理香は黙ったままだった。

「ちょっと寒くないか?」

 外とあまり変わらぬ温度に思わず声を上げた時、

「嘘つき‥」

 と、突然、恵理香が冷ややかに呟いた。

 呆気に取られる私に恵理香はまた同じ台詞を繰り返した。

「嘘つきって!?・・・・何のことだか!?」

「惚けないでよ‥」

 暗がりの先に居るのは本当に恵理香なのか。ついそう思わざるを得ないほど、恵理香の口調は冷たく凍り付いていた。

「いや、惚けるも何も!?・・・・」

「離婚したって言ったじゃない‥」

 恵理香の静かな声は独り言のようにも聞こえた。

「ああ‥‥言ったよ。それは嘘じゃない」

「‥この前、気晴らしにウインドショッピングでもすればって・・・・島さんに勧められたでしょ?・・・・」

 土曜日の帰り際、確かに私はそう言って恵理香を元気づけた。

「だから私・・・・思い切って出掛けてみたの・・・・そうしたら───」

「そうしたら!?」

「見ちゃったの・・・・」

「見た!?」

「『レインボー』で・・・・」

「!?」

 円満この上ない真由美との光景が瞬時に頭を過った。その直後スーッと血の気が引くのがわかった。

「・・・・騙してたのね」

「いや・・・・あれは・・・・ほら‥」

 説明しようとしたその時である。身体に強い衝撃を受けた私はそのままよろけるように壁にぶち当たった。一瞬の出来事で面くらいはしたが、即座に『レインボー』のことを怒って恵理香が体当たりをして来たのだと、私は強く恵理香の肩を抱きしめた。

 しかし、穏やかな私の顔はすぐに一転した。

 意識のすべてが一カ所に向くに従って、私の身体は熱を帯びたように火照り出し、何か味わったことのない感覚が脳に伝わり始めた。泣きながら崩れ落ちる恵理香の声を耳にした時、私は直感的に悪い事態になったと頭を白くさせた。絞り上げられる痛みに耐えながら、本源となる部分に恐る恐る手を運ぶと、コツンと何かの柄のようなものが触れた。

 夢だとも思った。恵理香の悲痛なまでの声が頭に木霊した。

「恵理香!・・・・電気!?・・・・電気を点けてくれ!」

 声を絞り出しながら私も壁をまさぐった。

 探し当てたスイッチで明かりを灯すと、強烈な光が私の視界を奪った。その数秒後、目の前にペタリと座り込んだ恵理香が映し出された。

「わ‥私・・・・何を!?」

 痛ましい姿に恵理香は改めて驚きを露わにしたが、私にはそれが正気に戻った瞬間にも見えた。

「は‥早くお医者さんに!」

「ああ‥いや、行くのは・・・・」

「じゃ・・・・救急車!?」

 あたふたと電話を取りに向かう恵理香を制止すると、

「だって‥駄目よ~!そのままじゃっ・・・・」

 と、恵理香は私の側に駆け寄って涙をポロポロ落とした。

「わかってる!だけどここに呼ぶわけにはいかねぇだろ!」

「いかないって!?・・・・どうしてよ!」

「馬鹿野郎っ!そうなったら俺達の結婚はどうなるんだ!?」

 と、私は空いた手で恵理香の肩を強く揺らした。

「・・・・結婚!?」

「結婚するんだろ?」

 泣きながら恵理香はうんうんと頭を揺らした。私とてまさかこんな時に打ち明けるとは思ってもみなかった。

「だったら、ここに呼べない理由もわかるな?」

 恵理香は私の言葉にまた大粒の涙を零した。そこで私は咄嗟に思いついた考えを伝えた。

「ああ、だから恵理香は何もなかったようにしていろ」

「でも、そのままじゃ・・・・」

「そ・・そうだな・・・・」

 と、大きめのタオルを用意させた私は、それを宛がうようにして息を止める。そして握り締めた右手をゆっくりと手前に引き始めた。柄が離れるにつれ再び私の身体に激痛が走った。その光景に恵理香はわなわなと震え顔を左右に振った。

 抜き終えるなり私は大きく息を吐き出した。果物包丁は熟したトマトでも切ったかのようで、心臓のポンプがドクドクと脈打つのを感じた。タオルで押さえた傷口をブルゾンで隠すと、私は手にした包丁を流しに運んだ。

「あとで・・・・洗っといてくれ」

 恵理香は小さな声で応えた。

「そうだ・・・・日曜に『レインボー』に行ったのは───」

 ここを出る前に誤解を解いておこうと、私は懸命に穏やかな表情を繕った。

「子供たちに!?・・・・そんな・・・・」

 恵理香は私の言葉に改めて崩れ落ちた。

「もう良いって!それに思ってたより・・・・大したことなさそうだから・・・・」

「し‥島さんっ!・・・・早くっ!」

「いいか!何も無かったんだぞ」

 言い聞かせるようにして部屋を出たものの、実際この痛みは尋常ではなく、店に辿り着く前に医者に飛び込みたかった。厚手のトレーナーとその下の肌着が血を吸い込んでいるのか、滴るほどの出血は無かったが、運転するのもままならぬほど私の顔は苦痛で歪んだ。

 恵理香との結婚。私を支えていたのはその言葉だけだった。

 なんとか店に着くと早々にシャッターを押し上げピットへと急いだ。目に付いた工具を手に取り血を付着させる。ブルゾンの下の白かったタオルは既に赤い染物が施され、私の手は絵の具遊びでもした子供の手のようになっていた。

 どこで間違えたんだ・・・・・・。

 打ちのめされたようにズルズルと座り込んだ私は、タバコに火を点け恵理香との思い出を辿り始める。おかしくもないのに笑いが込み上げ、悲しくもないのに涙が零れ落ち、その中に楽しげに笑う恵理香が幾度も映し出された。

「そうだ・・・・電話を・・・・」

 携帯を取り出そうと思うのがやっとで、長くなった灰も落とせぬほど、私の身体に力は残されていなかった。

交差点に舞う風(26)

『交差点に舞う風』 

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 大型免許を取得し順調に仕事をこなす島田へワン切り着電が入る。

詐欺ではないかと履歴から削除したが、ある日、見覚えのない

携帯番号からの電話は一度で切れることなく延々と鳴り続けた。

     ※この物語はフィクションです。登場する個人名・団体名などはすべて架空のものですが、

     素人による執筆の為、誤字、脱字等々、お見苦しい点があることを予めお断りしておきます。

 

 

 提出の前日ともなると私の腹もどこかすわっていた。

 限られた時間なのか、あるいはその後訪れる時間なのか、理由は定かではないにしろ、私はただ黙々と時を消化していた。寝て目覚めるまでにしても同じで、目を閉じて開けたら朝になっていた感じだ。子供達がお別れ会と称する催し物に出掛けたあと、私はいつものように身支度に入ろうとパジャマを脱ぎ捨てる。

「いつまでもこんなんじゃ嫌われるわよ」

 それが当日の朝の真由美の挨拶だった。

整備工場に車を届ける予定だったので、互いの車を利用しようと伝えたのだが、考えてみれば例え車検が無くても結果は一緒であったろう。つまり、真由美と二人だけで折り入った話が出来るのも、車に乗り込むまでの間しかないということだ。咄嗟にそう思った私は、

「しかし、うまいこと騙したもんだな。子供達には何て言って聞かせたんだ?」

 と、恰も感心したように予てからの疑問を口にした。

「離れて行く人がそれを聞いても何にもならないんじゃない!?」

 真由美は含み笑いで私を一蹴した。反論もしなければ特に驚きもしなかった。ただ浮かべた笑いのやり場だけが困った。

「そんなことよりプロポーズはもうお済になったの?」

「フッ‥。離れて行くやつがそれを聞いても何にもならないだろ!?」

 皮肉交じりの答えに真由美はキッと目を吊り上げた。ものの数秒だったが、事実上それが最後の夫婦喧嘩だった。扉の外には秋らしい爽やかな空が広がっていた。

────「車置いて来たんですか!?」

 店に辿り着くと、待ち受けたように圭ちゃんが現れ、

「チェイサー!?マークⅡですか!?」

 と、見慣れぬ車を眺めはじめた。楽しそうな顔で普段興味も示さない車をあれこれと見つめている。それに私は圭ちゃんの優しさを感じて仕方がなかった。

「マークⅡだよ!」

 私は目を細めながらも、この日を車検に選んで正解だとも思った。理由はなんであれ話を逸らすネタになってくれるからだ。ただ数時間前を境に、新たな時間が刻み始めたのも事実である。一区切りを迎えた安堵感なのか、私を取り巻く時間にしろ、肌に受ける風にしても妙に穏やかで新鮮に感じられた。もちろん問題がすべて払拭されたわけではない。

 しかし、そんな時間を誰かと分かち合いたいと思ったのか、夜は圭ちゃんに頼み込んでいつぞや出掛けた『ペンペン草』へと三人で繰り出した。

「──結局俺が運転手やらされただけじゃないですか!?」

「まぁ、そう言うなって!」

「そうそう!最初に試乗会しようって言いだしたのはシジミちゃんなんだしぃ~!」

 圭ちゃんの言葉に浅利はふて腐れて見せたが、どうやら前回置いてきぼりにされたのと合わせて拗ねているのだろう。案の定、メニューを広げた途端、浅利の表情は緩んだ。

「──随分いろいろあるんですね~!え!?ここも隠れ家の一つとか?」

「いや、ここは圭ちゃんの友達の店でさ」

「はぁ~ん栗原さんの!?俺はてっきり今夜も『ナポリ』かと思ってましたよ」

「どうせシジミちゃんがそういうだろうって、島さんが気を利かせてくれたんですよね!?」 

 圭ちゃんの言葉に私はニヤリと笑った。とはいうものの、当初は私も『ナポリ』だと思っていた。それどころか、朝の真由美の一声を聞いてからはずっと恵理香のところへ行こう。そして、今夜こそあることを告げようと考えていた。あることとは結婚の申し込みである。

 障害はエネルギーを生むではないが、大きなハードルを越えた私の心境はまさにそれで、何も焦る必要はないという、穏やかな気持ちで私の身体は支配されていたのだろう。届け出を出した日というのもゲンが悪い。確かに心の中にはそんな理由もあった。しかし、それは明日に延ばした口実の一つに過ぎないのかもしれない。

「────ここにも時々来てるんですか?」

 オーダーを告げてから浅利はそう言って店内を見回した。夕食時からはやや外れていたが、まだまだ店内はカップルを中心に賑わいを見せ、厨房の奥では時折ボワッという炎が上がっている。

「いや、俺は前に圭ちゃんと一度な──」

「半年ぐらい前でしたっけ!?俺はそれから何回か顔出してますけどね」

 友達付き合いも忘れてはいない。そう響いた圭ちゃんの言葉も、どうやら浅利には違って聞こえたらしい。

「じゃ~、もっぱら一緒に来てるのは、奥さんになるって人とですか?」

「奥!? ───」

  圭ちゃんが驚くのも無理はない。私とて一瞬言葉を失った。いったいそれをどこから・・・・。

 互いにそんな詮索を巡らせた瞬間だったろうか、

「いや、実はこの間それらしいパンフレットを見掛けちゃったもんで」

 と、浅利はすぐにその情報の出どころを白状した。

「パンフ!?」

「ええ。カウンターのレジの近くに置いてあったのをチラッと───」

 いずれは伝えることだとしても、ちょっと軽率だった。私には圭ちゃんのしまったと言う声が聞こえるようだった。だからこそ私は咄嗟に機転を利かせた。

「あ~あれ!何を隠そうあれは俺のでさ!」

「え!?島田さんの!?だってもう島田さんは結婚してるじゃないですか!?」

「いや~、実は再婚しようと思って」

「再婚!?」

 思わず上げた声に周囲の視線が集まったのか、浅利はキョロキョロしながら姿勢を屈め苦笑した。冗談を真に受けたという、呆れた笑いに私達も笑みを漏らした。もっとも私と圭ちゃんの場合、少しばかり内心は複雑だったかもしれない。それでも三人が織り成す雰囲気なのか、明日という時間を待つ楽しさなのか、私の笑いは朗らかであった。

 テーブルに次々と料理が届けられると、私達の関心は鮮やかなトマトソースの赤や、香ばしい匂いを放つピッツァに注がれた。そして所狭しと並ぶ料理に時の経つのを忘れるかに舌鼓を打ち続けた。

「───しかし、奥さんって言われた時には正直驚きましたよ」

 照れ臭そうに圭ちゃんが呟いたのは、浅利のロードスターを見送った後だった。私が自分も同じだったと笑うと、

「ま~、島さんのもちょっと驚きましたけどね」

 圭ちゃんは点けたタバコの煙を楽しそうに吐き出す。

「フッ‥。冗談で言ったつもりだったんだけどな───」

 既に前回のドライブのときに、結婚するつもりであることは伝えてあった。圭ちゃんとて、まさかそれを私が口にするとは思わなかっただろう。考えてみれば笑えない話だと、今頃になって私は自らの冗談に苦笑いを浮かべるのであった。

「いずれにしろ、近いうちに紹介しようとは思ってる」

「ええ──。あ!?だったら今日行った店でってのはどうです?」

「『ペンペン草』!?」

「実はさっきちょっと考えてたもんですから」

 圭ちゃんの言葉に私の顔は自然と緩んで行くのがわかった。なぜなら私もまったく同じ光景を思い描いていたからである。正しくは過去形になるだろうか。圭ちゃんと智ちゃん。そして恵理香と私が同じテーブルで楽しそうに食事をしている。空想とはいえ、ぼんやりと映し出される映像は、非現実的とは思えぬほどリアルに見えた。

 すぐさま私は快い返事と共に具体的な日を提案した。

「水曜日!?」

「ああ、そのへんだったら智ちゃんの都合なんかも訊けるだろうし──」

「智美!?智美だったら大丈夫ですよ!」

 と、圭ちゃんは手を小刻みに振り、どんな用事があっても連れて行くと力強く答えた。その声に私も満面の笑みで応えた。例によって帰宅は夜中近かった。

 物音を立てぬようにリビングと和室の境にある襖を開けると、既に真由美も子供達も川の字になって深い眠りへと着いていた。私は二人の子供の毛布を掛け直し、薄暗い明かりの中でしばしその寝顔を眺めていた。日曜日は引っ越しである。従って寝顔を見られるのもあと一日となったわけだが、残り時間が無い割には私の視線は妙に穏やかだった。

 土曜日の夕方───。

 昨夜のことを伝えて来るからと、帰り支度をする圭ちゃんに一言告げた私は、早速とばかりにマークⅡのキーを捻った。格別飛ばすわけでもなく、いつもの道を普段通りに走っていた。しかし、デジタルの時計が少し進むごとに、またメーターの針が揺れ動く度に、私の身体を心地良い緊張が包み込んで行く。

 なんて言おうか・・・・。どんな顔するだろうか・・・・。

 様々な思いを巡らせ、微笑ましい顔を抑え込む時間は、私にとって不幸せの中に灯る幸せであったと言えよう。

「いらっしゃい‥」

 今日の恵理香の声はややためらいがちだった。私の穏やかな笑みに何か普段とは違う雰囲気を感じ取ったのだろうか、恵理香の優しい笑みには僅かな距離が感じられた。

 何か言いたいけど言えない。恵理香と私の間にはそんな空気が存在していた。

 ゆっくりと所定の位置に腰を下ろし、着ていたブルゾンを脱ぎ始めると、恵理香は後を追うようにブルゾンをハンガーに吊るした。そして再び無言のままキッチンへと向かいカチャカチャと物音を響かせた。

「昨日・・・・正式に別れたよ」

 突然私が独り言のように声を出すと、

「そう‥」

 と、すぐにキッチンから声が返ってくる。意外なほどあっさりした声に一瞬拍子抜けしたものの、なまじ同情や哀れみを買うよりは、後味を悪くせず良かったのかもしれない。ただそれを切り出すことにより、肝心の話が言い出し辛くなってしまったのも事実で、私は別の話題を探すべく壁に凭れてぼんやりと部屋を眺めていた。

 やがて恵理香が御揃いのマグカップをトレーに載せて現れた。

「ゆっくりしていけるんでしょ?」

「ああ──」

 当然とばかりに差し出されたカップを口に運ぶと、恵理香は幸せそうな笑みを浮かべて私を見つめた。狭い部屋に流れる時間のすべてが幸せの前兆にすら思えただろうか。こんな日にどこかで食事をするのも悪くない。そう思って恵理香に声を掛けようとした時である。

───ピンポーン♪

 突然、部屋のチャイムが鳴り響き、恵理香と私は顔を見合わせた。きっと頭の中は同じ人物が浮かんでいたに違いない。もちろん私はすぐにそれを否定した。私が居る時にわざわざ来る理由が見つからなかったからだ。

「どちらさまですか?」

 恵理香の声を耳に新聞の勧誘か何かだろうと思った瞬間、

「恵理香・・・私──」

 と、耳に馴染みのある声が響く。紛れも無くそれは姉の声だった。

「おねぇちゃん!?」

 姉の不可解な行動を分析しながらも、然程動揺しなかったのは、いつものようにうまくあしらってくれると思っていたからだ。しかし、それも鍵の音と共に一掃された。

「あらっ!? ──お客‥さん!?」

 男物の靴に姉も私が居ることを察したようだ。口調だけでもその気まずさは十分だった。

「ううん、いいの!上がって!」

 恵理香の落ち着き払った声も私には理解出来なかった。次第に近づく足音に私は自分すら見失うほど動揺していた。

「あ‥こんばんは───」

「‥こんばんは」

 顔を見合わせながら何ともばつが悪いと思ったことだろう。二人だけならまだしも、まさかよりによって恵理香の部屋で会うとは、姉自身も思っていなかったに違いない。冷静を装う私とて実際目のやり場に困った。

「ちょっと待ってて、お茶淹れるから」

 そんな状況を知ってか知らずか、恵理香はそそくさと立ち去り、近くに居るとはいえ狭い六畳の部屋の中は私と姉の二人だけになった。

(どうして俺が居る時にわざわざ・・・・)

(あなたこそ、どうしてここに居るの・・・・)

 互いの目はこんな台詞を語っているように見えた。そんな矢先だった。

 恵理香に背中を向けているのをいいことに、私に向かって口をパクパク動かし始めた。身体こそ座ったままだが、驚くような形相は気取った姉とはかけ離れていて、見ている私も反射的に同じ顔になる気さえした。それでも姉の繰り出す三つの言葉が一つに繋がった時は、どうしてここに来たのかがようやく理解出来た。

(く・・・・る・・・・ま‥‥)

 つまりは私の車が駐車場に無かったと姉は言っているのだ。すべては後の祭りと思いもよらぬ偶然を恨めしく思った。

「確か‥おねぇちゃん、はじめてよね?」

「あ‥ええ!こちらの方は?」

 コーヒーを差し出す恵理香に姉が答えた時だった。

「しらじらしい!」

 と、突然恵理香は吐き捨てるように呟いた。一瞬、冷ややかな言葉に部屋が凍りつくようだった。しかし、姉も然るものである。

「フフッ‥。そうだったわね」

 と、何事も無かったように笑い始める。その空気に私は嫌なことが起こる気がしてならなかった。

「島田さんが居るとは思ってもみなかったけど、この際だから一緒に話を聞いてもらうことにしましょ!」

 芝居は疲れると言った後で、姉は本来の用件を話し始めた。

「あなた、お母さんの薬持ち出したでしょ?」

「薬!?・・・・知らないわ」

「ウソおっしゃい!いつもあの薬は私が管理してるのよ!それにあなたが来たことくらいお母さんにだってわかるんだから!」

 私は初めて聞かされる話に呆然となった。

「・・・・薬!?」

「ええ。母親が飲んでる精神安定剤

「精神安定!? ───」

 私は愕然と恵理香を見つめた。思い詰めた表情で俯く姿に、ふと今まで抱いていた疑問と姉の言葉がおぼろげながら結び付いて行くのがわかった。

「──薬を管理してるって言っても、無くなったらもらいに行く程度で母親も飲んだり飲まなかったりだから、今まで気が付かなかったけど、いつ頃からだったかしら!?妙に薬の数が合わないって思い始めて!?」

 そこで姉はピンと来たのだろう。

「ホントなのか?お姉さんの言ったことは───」

 私は黙り込む恵理香に優しく声を掛けた。

「・・・・ええ」

「やっぱり、そうだったのね!」

 恵理香が頷いた途端、姉はこれで辻褄があったと声を上げた。

「そうよ・・・・でも少しくらい良いじゃない!?」

 姉の声に刺激されたのか、突如恵理香は開き直ったように言い返した。

「少しって!?・・・・あの薬はお医者様から処方されたものなのよ!あなただってそれくらい知らないわけじゃないでしょ!」

「わかってるわ!でも・・寝られるようになるのよ・・・・あれを飲むと」

「ね‥寝られるって言ったって・・・・」

 姉の強い口調が陰ったのは、恵理香の心中を察したのだろう。ただ、私にはそれも何かの前触れとしか思えなかった。

「無断で持ち出したのは悪いと思ってる・・・・だから今までの分もちゃんと払うわよ」

「私は何もそんなことを言ってるんじゃ!? ───」

「だったらなに!?さっきから私ばっかり悪者みたいに!」

「別に悪者なんて!? ───」

「そうじゃない!それに私だって好きで飲んでるんじゃないわ!」

 女性同士の言い争いに戸惑ったのか、私は唖然とするだけで二人の間に割って入ることも出来ずにいた。もっとも二人の眼中には既に私の存在すら無かったかもしれない。

「───それとも眠れなくなったのも、みんな私が悪いって言うの!」

 しかし、恵理香のこの一言だけはさすがに聞き流せなかった。

「そうじゃない!」

 突然の声に恵理香も姉も口を噤んで私を見つめた。

「悪いのは俺だよ。俺がもっとしっかりやってればこんな───」

「違うわ、島さんのせいじゃない・・・・」

 終止符を打とうとしたわけでもなく、口にした言葉は私の本心だったが、恵理香が私を庇うことにより思わぬ事態を招いてしまうのだった。

「それじゃ、私のせいとでも言いたいわけ!?」

「そうよ・・・。泥棒猫みたいに追い回して、あることないこと島さんに告げ口したのはいったい誰!?」

「ど‥泥棒猫だなんて‥ちょっと言い過ぎじゃない!?」

「だったら、妹思いの姉とでも言えばいいの?」

 二人の目は明らかに怒りで満ち溢れている。その興奮による熱気で私の身体は変な緊張を覚えた。

「ハッ‥いいわ!好きに呼んだら。でもあんまり悪態ついてると島田さんに嫌われるわよ」

 とは言え、ここは姉も一歩引いたようだ。恵理香もまた姉の言葉に慌てて自分を取り戻そうと視線を落とした。

「こんな優しくしてくれる人の前で、いつまでもつまらないこと言ってるようだったら、私が代わって付き合っちゃおうかしら!───」

 姉がそう言い終えた瞬間だった。

 パシーッ!!

 恵理香に横っ面を勢いよく張られた姉はそのまま髪を振り乱すように倒れ込んだ。そこへ恵理香が間髪入れずに飛びかかる。

 あまりの速さに私は止めるどころか声も出せなかった。それでもすぐに恵理香を抑えに掛かる。

「いや~っ!!離して~っ!! ──」

 信じられなかった。耳に突き刺さる悲痛の声が私をさらに白くさせたが、夢中で暴れる恵理香の力にも驚かされた。出来るのは必死に宥め続けることだけで倒れていた姉にも声を掛けた。ようやく起き上がった姉は一瞬、恵理香を睨んだ後、髪や衣類を整えながら私を労った。思いのほか冷静に見えたのがせめてもの救いだと思った。

水月さんも言いたいことはあるだろうけど、今夜のとこは一先ず引き上げてくれないかな?」

 収拾が着かないとばかりに話すと、ほんのり色付いた頬を手で隠すようにして姉はドアに向かって歩きはじめた。

「いやっ!おねぇちゃんの名前なんか呼ばないで!───」

 取り乱す声がどの辺りまで姉の耳に届いただろうか。しばらく身体を強張らせていた恵理香も、時が進むにつれて落ち着き出したのか、抑え込む私の手も恵理香の呼吸も穏やかに変わって行った。幻でも見ていたのだろうか・・・・。今の私はまさにそんな心境だった。

 それほどこのところの恵理香は私の目から見ても異様に映る時があり、その精神不安こそが薬の及ぼす影響に違いないと、冷静になったのを機に残っている薬を出すように話した。やがて恵理香は私に小さな紙袋を差し出した。まだ何錠か残っているらしく指に錠剤の感触が伝わった。

「とりあえずこれは俺が預かっておくから───」

 私の言葉に恵理香はコクリと頷いたが、それを手にした途端、邪魔者みたいに追い払った姉の様子が気に掛かったのか、薬をポケットに入れると徐に立ち上がった。

「どうしたの?」

 気配を感じたのか恵理香は不安げに呟いた。

「いや、今日はこれで帰ることにするよ」

「え!?だってご飯まだなんでしょ?」

 確かに来た時は腹も空いていた。とは言え、私が帰れるタイミングは今しかないとも感じていた。

「ゆっくりしていけるって話してたじゃない」

 恵理香は歩きはじめる私に追いすがった。

「私がおねぇちゃんを叩いたから?」

「いや・・・・そうじゃない」

「だったら‥どうして?」

「───ちょっと用事を思い出したっていうか」

「うそっ!うそよそんなの!」

 私の左腕を恵理香の両腕が掴む。それだけでも帰らせまいとする気持ちが十二分に伝わった。冗談だと言ってやりたかった。でも私はそそくさと靴を履き始めた。

「・・・・奥さんと別れたんでしょ?」

「ああ──」

「だったらお願い・・・・今夜はそばに居て!?」

 扉を前にどれくらい居ただろうか。涙ながらの恵理香の声に諦めの色が滲んだ時、

「そうだ───」

 と、私は多少の気休めになる言葉と笑みを残し部屋をあとにした。

 プロポーズどころか予想もつかぬ展開に、ただ苦笑いを浮かべる私だったが、後ろ髪を引かれながらの足音はどこか物悲しく聞こえた。

交差点に舞う風(25)

『交差点に舞う風』 

 f:id:chibigori:20210627110435j:plain

 大型免許を取得し順調に仕事をこなす島田へワン切り着電が入る。

詐欺ではないかと履歴から削除したが、ある日、見覚えのない

携帯番号からの電話は一度で切れることなく延々と鳴り続けた。

     ※この物語はフィクションです。登場する個人名・団体名などはすべて架空のものですが、

     素人による執筆の為、誤字、脱字等々、お見苦しい点があることを予めお断りしておきます。

 

 

「そういや今月車検だったな」

 いつものように自宅を出た私は、ふとフロントガラスに貼られた数字に、整備工場から送られたはがきを思い出す。期日までは曖昧だったが、とりわけ今の私を驚かせるほどのものでもない。店に着いたら確認しよう。そのくらいで意識の中から薄らいで行く。

 月日にしても同様だ。今月に入ってから恵理香の部屋と自宅とを交互に行き来してるせいか、一日一日がまるで車窓を流れる景色のように淡々と過ぎ去り、私を着実にその日へと向かわせる。とは言うものの、焦りも不安もなく、寧ろドラマの最終回でも見ている気分で日に日に増える荷物を眺めていた。

 圭ちゃんを飯に誘ったのは、いよいよという衝動に駆られたからに違いない。それほど私に残された時間はなかった。たまたま居合わせた浅利も、すぐに晴れやかな声を上げる。

 普段ならここで一気に盛り上がるところなのだが、私はあえて仕事の打ち合わせとそれを抑え込んだ。『ナポリ』に着いたのは八時頃だった。

 当たり前のように食事を済ませたあと、私はドライブに行かないかと圭ちゃんを連れ出す。さすがにこの頃になると圭ちゃんも、ただの打ち合わせではないと気付いたようだ。

 浅利を拒むほどの話とはいったい・・・・。

「・・・・決まっちゃったよ」

 やがて私は意を決したように呟いた。

「決まった!?」

「ああ‥。真由美と・・・・別れることになったよ」

「別れる!?・・・・って離婚ってことですか!?」

 走破性に優れるBMがふらついたほどだ。余程圭ちゃんも驚いたと見える。

「フッ‥今まで何度も言い掛けたんだけどさ・・・・。なかなか言い出せなくてな」

 呆れ果てた笑いは、今頃になって打ち明ける自分に対してのものだった。

「‥でも‥まだ‥本決まりってわけじゃ!?」

「圭ちゃんにはすまないと思ってるよ。こんな大事な話をずっと黙ってたんだからな」

 僅かな可能性を探った圭ちゃんも、私の口調に一掃されたのか、しばらく何かを考え込むように黙り込んだ。

「それで・・・・届けっていうか?」

「一応・・・・明後日に出す予定だ」

「明後日!?・・・・二十日ですか」

「ああ‥」

「‥二十日」

 突然聞かされた日取りは、回避する余地もないほど緊迫した状況と、圭ちゃんにも受け取れただろう。ハンドル操作にも身が入らなくなるのも当然だ。

「・・・・何か買ってきます」

 車を大型トラックで混み合うコンビニの駐車場に乗り入れると、圭ちゃんはいそいそと明かりに向かって駆け出して行く。ドアミラーに映る後ろ姿が、心なし私には複雑に見えた。

「ちょっと寒いから、迷っちゃいましたよ」

 戻るなり圭ちゃんは、明るい口調と共に温かいコーヒーを差し出した。

「フッ‥。話も寒いからちょうどいいだろ」

 と、笑いを繕いながら私はそれを口にする。ドイツ車の独特の香りにコーヒーの香りがブレンドされた。

「しかし、現実に聞かされると・・・・やっぱりなんて言うか驚きますね」

 圭ちゃんの微妙とも取れる台詞に顔を向けると、

「いや、いつだったか智美の奴がね、それらしいこと話したことがあるんですよ」

 と、以前私の家を訪れた時の話を持ち出した。どうやらその時に智ちゃんは、真由美から何か感じ取ったらしい。

「女同士だからなんて、その時は偉そうなこと言ってと思いましたけど‥‥」

「俺への愛情がまったく感じられなかったか・・・・」

 前々からずっと感じていたことだからか、私の口調に驚きはなかった。

「島さんから折り合いがなんて聞かされた時は、さすがに智美が言ってたことが頭を過って・・・・」

「フッ‥。智ちゃんには見抜かれたんだな」

「・・・・俺にはそこまでには見えなかったですけどね」

 少なからず感じてはいただろうに。気遣う圭ちゃんに私は小さく首を振った。

「いいさ‥もうどっちだって」

 投げやりに呟いたあとで、私は何年も前から冷め切った関係であったことを打ち明けた。

「仮面の夫婦!?」

「あぁ、俺達が夫婦なのは戸籍上だけってことさ」

「じゃ~、原因はやっぱりそれですか?」

「いや、何がって言ったら俺の浮気だろうな」

「浮気!?・・・・島さんの!?」

 予想もしない展開に思わず圭ちゃんは口をあんぐりと開く。

「まぁ‥な」

「じゃ、それが真由美さんに!?」

「フッ‥。言ってみりゃ駄目押しみたいなもんだけど──」

「そう‥だったんですか・・・・。全然気がつきませんでしたよ」

 と、圭ちゃんは気忙しくタバコを点け、大きく煙を吐き出した。

「薄々はって思ってたけどな」

「いや~・・・・」

「いずれにしろ、もっと早く話すべきだったんじゃないかって」

しみじみとした声で詫びると、今度は圭ちゃんが小さく首を振った。

「誰にだって、人に言えないことはありますよ」

「言えないことか・・・・。でもな・・・・」

「それで十分ですよ。島さん!」

 私は次の声を失った。正しくは圭ちゃんの心遣いが喉を締め付けたのだが、圭ちゃんにしても次の言葉を探しあぐねているように見えた。

「ホットでいいか?」

 何か心苦しい気配を察した私は、笑いと声を振り絞って外へと出た。それでもしまい込んでいた秘密を少し解き放したからだろうか、私の足取りはどことなく軽やかだった。

 キュルル・・・・ブォーン!!

  二本目のコーヒーが空になると、圭ちゃんは眠っていたエンジンに火を入れ、車を国道の流れへと乗せる。そして、シフトの両脇にあるスイッチを手際よく押し、運転席、左後部座席と対角線に窓を開けた。すぐにひんやりとした空気が舞い込むが、寒さよりも先に気分転換が身体を包み込んだ。

「寒くないですか?」

「いや!!」

 定番とも言える会話が遥か後方へと消え去った頃、

「──俺もたぶん同じことになってたでしょうね」

 と、圭ちゃんはポツリと呟いた。

「いや、俺がもし島さんだったらって考えてたんですよ」

「俺だったら!?」

「ええ。ま~もっとも、俺だったらとっくに別れてたかもしれないですけどね。智美とちょっと会わないくらいでも、あの様ですから──」

 と、以前、店で知り合った洋子さんことを引き合いに出した。

「でも圭ちゃんは独身なんだぜ」

「そりゃ~、確かにそうですけど‥‥」

「でも、そう言ってもらえるだけで何だか救われたような気がするよ。フッ‥、実のところ未だにこれで良かったんかなって迷う時があってさ」

と、私は心に蟠りが残ってることを伝える。

「さとちゃんと、ち~ちゃんのことですか?」

「まぁな」

 と、ため息にも似た返事を漏らした私は、真由美から出された離婚の条件を話して聞かせた。

「え!?二人ともですか!?」

「あぁ!実家の親も娘と孫は近くに置いときたいんだろ。いつだったか、こっちで店を出せって、行く度に言ってたからな」

「向こうで!?」

「ああ。店も家も建ててやるから、こっちで暮らせって。フッ‥。毎度そんな話になると俺も足が重くなるっていうか──」

「一人だけでも引き取れなかったんですか?」

「それで穏便にってことなんだろ。俺もいろいろ考えたんだけどな。結局、姉妹は一緒に居た方が良いかなって」

「ま‥そうですね」

「ホントは家族もって言いたいところなんだけどな・・・・」

「もう‥会えなくなっちゃうんですね・・・・」

 二人の顔でも探すかに、圭ちゃんは視界の遥か先を眺めた。ぼんやりとした私の目にも次々と思い出が映し出された。まさにそんな矢先だった。

「あっ!?」

 突然とも言える声に顔を上げると、

「島さん!?あれ!?」

 と、圭ちゃんは数百メートル前方を指さした。思わず身を乗り出す視線の先には、数にして数十個という華やかな丸いランプが灯っている。もちろんそれは言わずと知れた大型トラックのもので、二人にとっても見覚えのあるものだった。一気にスピードが増したのも、恐らく誰なのかを確認しようとしたのだろう。

「夜叉連合か!?──」

「中島さんですよ!島さん!」

 法定に毛が生えた速度のトラックである。追いつくのは容易いことで、すぐにテールに貼り付くと、私達はしばし自ら手掛けた仕事を眺めていた。

「やっぱり、このレイアウトは目立ちますね!」

「ああ、ホント良い仕事してんな~!!」

 赤々と灯る光にすっかり豹変した私達は、声高らかに笑いを交えていたが、ハンドルを握る圭ちゃんも必要以上に前を覗こうとはしない。何より後ろから煽りかける行為を嫌っている圭ちゃんだ。追い越し禁止云々の前に、それと見える動きを避けたのだろう。

 加えて国道とはいっても、古い旧道の道幅は驚くほど狭く、大型車の擦れ違いなどは回りが肝を冷やすほどである。実際、車線を越えた車がここでは何台も犠牲になっている。

「しっかし、こうして目の当たりにすると良いもんですね~!!」

「まったくだ!それも特に夜だろ!そういや、誰だったか自分の走ってる姿が見えねぇって、ぼやいてたっけ!?」

「あ~!それって奈良さんですよ!」

 もう少しで片側二車線のバイパスに出る。ましてや急ぐ理由もないと、私達は好き勝手なことを言いつつトラックの後ろを追走していた。

 古い街並みが消え去ると、黄色いセンターラインも同時に途切れ、右側には新しい車線がお目見えした。ならばと言わんばかりにハンドルを切り込むが、右側の車線に躍り出るなり圭ちゃんは奇声を発した。

「す・・すげぇ!?」

 私も目を疑った。今まで一台だと思ってた大型の前にも、さらにその前にも前にも大型が走っている。それがまるで外国の長距離の貨物列車のように延々と繋がっているのだ。 ざっと数えても十や二十ではきかない。それもすべて同じグループと思われる飾り込んだトラックとあれば、さすがに電飾を消していても度肝を抜かれるというものである。

 寧ろ私はそのスケールに笑い出していた。

「そういや、鈴木さんが話してたっけ?」

 慌てて窓を開けて私は圭ちゃんに叫んだ。

「あ~!!何年に一度のでっかいイベントがあるって!!」

「それに今向かってるとこか!?」

「‥つったって何台居るんですか!?」

 圭ちゃんに車を中島さんの横に着けるように話すと、私は全開にした窓から顔を突出し運転席に向かって手を振った。

「お~っ!!島さ~ん!!」

 圭ちゃんも窓を開け右手を大きく揺さぶった。

 バッ!!バーーーッ!!パーーッ!!

 ビッグホーンの音に圭ちゃんの愛車も応える。その前もその前のトラックにも同様なことを繰り返していく。ダカールイエローのZ3では無かったせいか、中には気が付きにくい人も居たが、無線で聞いたのか慌てて手や顔を出して応えてくれた。

「島さん!南雲さんですよ!!」

「お~!昨日仕上げといて良かったな~!」

 そう圭ちゃんと笑い合った時だった。誰かが号令を掛けたのか、延々と連なるトラックが一斉にライトアップして見せた。それもほぼ同時というタイミングである。

 思わず私は呆然となった。

 どこまでも続くかの夥しい光の列。綺麗だとか凄いとかの表現すら見失った私は感動を通り越して涙さえ滲ませていただろうか。

「イヤッ!ホ~~ッ!!」

 雄叫びを上げる圭ちゃんからも容易に察しが付く。片手運転のまま、ワープしたように加速を続ける様は、完全に逝ってしまったとしか言いようがなく、ほとんど私も呼吸が出来る状態ではなかった。ホーンなどもう鳴らしっぱなしに近かった。それでも出来る限り手を振り続けた。しかし、終いにはそれさえも断念しなければならなくなっていた。

 アルピンホワイトのボディに、一体どれくらいのきらびやかな装飾を映し込んだだろう。 果てしないと思っていた列も、圭ちゃんの人間離れした運転のお蔭で、いつしかその最前列にまで達しようとしていた。

「イエ~ィ!鈴木さん!!」

 これだけの速度で走ってもトラックが識別出来るのだから、圭ちゃんの動体視力にも恐れ入るが、減速の仕方も半端ではなかった。加速時と同様に左手一本で瞬く間にギアを落として行く。右手は相変わらず窓から出している。つまりシフトレバーに触れている間は、ハンドルに添える手は何もないのだ。無論、シフト操作ぐらいでは止まれる速度ではない。

 足での強力なブレーキも重なってか、BMは前傾姿勢のまま、動物か何かが身震いするように減速を続けている。その凄まじいGに私はしがみつくのがやっとで、シートベルトをしていても前へ飛んで行ってしまうのではないかと思ったほどだ。それでも318は見事なまでに鈴木さんのトラックと鼻先を揃える。

 私は恐怖を覚えつつも、圭ちゃんが惚れ込んで止まない、BMWという車の神髄を垣間見た気がしてならなかった。

「やっぱり頭で引っ張ってるのは鈴木さんか!」

「お~!島さ~ん!圭ちゃ~ん!」

 窓から手を振っていた鈴木さんは、突然その手にマイクを握ると、

“そこの白のBMW!スピード違反です。ただちに左に寄って止まりなさい”

 と、拡声器からそれらしい声を響かせた。私は笑いながら窓から出した頭を何度もペコペコと下げた。

“いや~、無線聞かせてやりてぇ~よ!みんな最高だって大笑いさ!”

「気を付けて行って来てください!みんなにもよろしく!」

 手を口に当てて声を張り上げると、

“最高の見送りありがとう!もう圭ちゃん事故んなよ!”

 と、派手なパフォーマンスに灸を据えた。

 背後に煌々と続いていた光が消え去ったのは、鈴木さんの声が消えた直後だった。車幅を示す灯りやヘッドライトは点いたままだったが、その艶やかさで言ったらあまりに対照的。差し詰め夥しい列は闇の中へ取り込まれてしまった感じだ。もっともこれだけの光を灯した一行が走ってれば、例え法定速度でも警察が出動する事態になるかもしれない。同時に、私はいつぞやの五十嵐さんの言葉を思い出していた。

「ここぞという時に点ける・・・・か」

 些細な声は風にかき消されてしまったものの、私の胸は妙な温かさに包まれていた。

 その後、鈴木さんの前に出た私達は、しばしハザードを点滅させながら一行の先導車を務めた。

「──それにしても圧巻でしたね」

「いや~、まさに言葉が出ないってやつだな」

 バイパスを外れてからも車内は彼らの話題で持ちきりだった。

「しかし、さっきは死ぬかと思ったぞ!」

「ハハッ‥。ちょっとやり過ぎましたかね!?」

「ま、腕は信用してるから良いけどさ~!」

「それにしちゃ、島さんの足突っ張ってませんでした!?」

 数分前に繰り広げられた出来事が、どうやら私達の口調も一変させてしまったようだ。

「フッ‥。お蔭で良い気分転換になったよ」

「俺も久々にスカッとしましたよ!」

 軽さのあまり弾んでいる。二人の会話からも心中が伺える。

「あ~、俺も次はBMにすっかな~!」

「おっ!?どうしたんですか急に!?」

 何気に出た話題も格好の餌だったと見え、圭ちゃんの喰い付くスピードは思いの外速かった。

「いや~、あれだけの動き見せられちゃうとな~」

「あれ!?さっきは腕はって言ってたじゃないですか?」

「ま~、それはそれ!これはこれってな!って言っても車検の予約入れちゃったから少し先だな。いずれにしろそんときは言い値で買い取るから一声掛けてくれよ」

「え!?じゃ~まさかこれ!?」

「フッ‥。どうせなら素性を知ってる車が良いだろ?それに右だしさ」

 そこまで話すと圭ちゃんは突然笑い出し、なぜ右ハンドルを選んだのかを聞かせてくれた。

「え!?俺に運転を!?」

「ええ。島さんにもドイツ車の良さを、ダイレクトに感じてもらおうかなって───」

 圭ちゃんから聞かされた話に、私は驚きと喜びを感じていたが、買い上げる話を聞いた時の圭ちゃんの表情も、実は同じだったかもしれない。

「島さんにだったら格安で出しますよ!」

 圭ちゃんの明るい声を耳に、私は次期愛車となるであろう車を眺めた。しかし、その時はまだ運転席に座る自分の姿までは見えなかった。

「ま、せいぜいその時まではぶつけないようにしてくれよ」

「大丈夫ですよ!その時は値引きいれますから!それにちゃんと保険にだって・・・・。ん!?」

 四方や忘れたのではあるまい。私がそう言い掛けた時だ。

「もしかして・・・その相手の人って保険屋の!?」

 圭ちゃんは何か閃いたように私の顔を見つめる。一転して逆戻りする話に多少戸惑いはしたが、影が差しこむほどでもなかった。

「フッ‥。さすがにって言いたいとこだけどな──」

「違う!? ───」

「でも当たらずとも遠からずってとこだな」

「遠からずですか!?」

 もったいつけた言い方だったかもしれない。しかしながら、それが今の自分の胸の内なのだろう。

「実は保険屋ってのはお姉さんでさ」

「お姉さん!?‥え!?」

「ま~、単純に言えば付き合ってるのがバレてね。それで妹とどうするつもりだみたいな話になったって感じかな!?」

「あ~」

 それでも圭ちゃんが一つ頷くごとに、私の心は徐々に軽くなって行っただろうか。

交差点に舞う風(24)

『交差点に舞う風』 

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 大型免許を取得し順調に仕事をこなす島田へワン切り着電が入る。

詐欺ではないかと履歴から削除したが、ある日、見覚えのない

携帯番号からの電話は一度で切れることなく延々と鳴り続けた。

     ※この物語はフィクションです。登場する個人名・団体名などはすべて架空のものですが、

     素人による執筆の為、誤字、脱字等々、お見苦しい点があることを予めお断りしておきます。

 

 

「あ~っ!ほしい~っ!!」

「さとたんもぉ~っ!」

 破り取ったばかりの九月のカレンダーを二つに折ると、私は丁寧にハサミを入れ二人の子供に分け与えた。大きくて厚みのある紙は特別なパレットにでもなるのか、早速何やら嬉しそうに描き始める。あれこれ呟きながら、また時折相手を覗き込んで、その頭に浮かぶ思いをペンやクレヨンに託している。子供を持つ親にとってそんな姿は実に微笑ましい瞬間と、私も目を細めて眺めていたが、なぜかそれが無性に特別な映像のようにも見え、いつしか目の中の笑いは消え失せて行った。

「十月か・・・・」

 再びカレンダーの前に立ち、しみじみとした声を洩らせば、それまで背を向けていた真由美がゆっくりと振り返り、物言いたげな顔でこちらを見ている。

────「引っ越しするんだったら、あんまり寒くならないうちの方が良いかなって思ってるんですけど!?」

 その日の夜、子供を寝かしつけた真由美は二階にいる私の元を訪れた。

「そうだな・・・・」

穏やかな口調であれ、意味はすぐに理解出来た。

「それで決まったの?」

「ん!?」

「だからカレンダー見てたんでしょ?」

 言うまでもない。しかしながら、ケースによって夫婦の距離も皮肉なものだ。短い会話や重苦しい空気からでも、相手の声が自ずと伝わって来てしまう。

「二十日にしよう・・・・」

 だからなのだろう。私は立ち去ろうとする真由美に声を掛けた。今更何を躊躇しているのという態度への言わば手土産である。

「二十日ね。わかったわ」

 真由美はそう一言呟くと、振り返りもせずスタスタと階段を降りて行く。私にはその一歩一歩と踏み降ろす足音が、秒読みにさえ聞こえるのだった。やがて、大きなため息を漏らすと、私は思い立ったようにクローゼットを開け、中から最後の繋がりともいえる紙を取り出した。そして、幾度かしたようにそれをしみじみと眺めた。

 真由美に出した日付が原因だろうが、書き連ねてある文字が単なる模様に変わり果てた時、私は意を決するかに引き出しに手を掛け親指ほどの大きさの象牙を握りしめる。

 成るようにしかならない。もはや私を後押しするのは、そんな開き直りとも言える心境だけだった。

───「おはよう!!」

 清々しいとまではいかないにしても、翌朝は何かが違って見えた。圭ちゃんも何かを感じ取ったのか、挨拶を済ませるや、すぐに普段とは違った笑みを浮かべる。

「なんだか今日は顔色が良いように見えるんですけど!?」

「いや~、今月は頭から予定が詰まってるだろ──」

「あ~!先月は結構暇でしたからね」

 体裁の良い言い訳でその場をごまかした私だったが、さすがに心境の変化は隠せなかったようだ。もっとも、それは致し方のないことだろう。何せ残された二十日というのは、私にとっても特別な時間であるからだ。

「圭ちゃん!そのキャビンの配線先に頼むよ!」

「ユニットがまだなんですよ、島さん!」

「まだって!?浅利はどうしたんだい!?」

 幸か不幸かは別として、慌ただしく動いていると気が紛れて良かった。ただそれも一日続くわけでもなく、夕方、圭ちゃんを送り出してしまうと、どこへ向かうべきかで頭を悩ませなければならない。

ある夜、自宅に戻ると引越し屋の文字が入った段ボールが置かれていた。具体的な数字が出たことで準備でも始めるのだろうと、私はあえて尋ねもしなかった。恐らく段取りの良い真由美のこと、引っ越し便から学校、保育園の手筈まで着実に進めているに違いない。

 すべては無駄な詮索と私は口を噤んだが、子供にどう話し聞かせたのかは正直気になって仕方が無かった。住み慣れた家を離れるという程度で、私の顔を見るや平気で荷造りを手伝えとせがむからだ。騙しやすい年頃にしても、余程うまい理由を吹き込んだのだろうと思った。と同時に最後の最後でドタバタするのを避けたかった私は、せめてもの情けと真由美の後ろ姿に礼を言った。

「よ~し!じゃ~パパは何をやればいいかな?」

 やがて消え行く記憶の中に、少しでも自分の姿が残せれば──。情を殺して笑顔で荷造りに手を貸したのも、きっとこんな理由からなのだろうが、離れ離れになる家族の思い出を纏めるのは、決して楽しいことではない。どんなに割り切っていても、不意に目頭が熱くなったりするのである。

「パパ!?どうしたの!?」

「ん!?あ~、虫でも入ったかな!?」

と、洗面所に向かえば、歪んだ自分の顔がミラーに映し出された。

 辛かった──。

 子供が無邪気に振る舞えば振る舞うほど、私の心は罪悪感で締め付けられた。離婚が現実になった今、本来は顔を合わすべきではないのかもしれない。そんな思いから翌日は恵理香の元を訪れたのだが、逆に辛いと思う一時に触れたくなったりするのだから、人間とは勝手なものである。時間と言う制限が私をそんな思いに駆り立てるのかもしれないが・・・・。

 圭ちゃんがパンフレットらしきものを持参したのは、ちょうどその頃だった。

「いや~、島さんにも見ておいてもらおうかなって」

 話こそまったく違えど、いよいよ圭ちゃんの方も始動したのかと、差し出されたパンフレットに目を移すのだが、当の本人は今一つ表情が冴えない。

「どうしたん?浮かない顔して──」

「ええ‥まぁ‥」

 と、もどかしい返事を漏らした後、

「智美とそれらしいところ、いくつか回って見たんですけど──」

と、圭ちゃんは派手な式に戸惑いを感じているらしい。

「智美はあんな性格ですからね。友達呼んでパーッと派手にって思ってるんでしょうけど、男の立場って言うか・・・・。なんせこの歳ですからね」

 年々派手になる披露宴など、まさに女のためにあると言っても過言ではなかろう。おまけ役のような男にとっては尚のことである。

「まぁ~な。で、お袋さんは何て!?」

「あ‥ま‥智ちゃんのやりたいようにって」

「味方なしってところか」

「気持ちはわかるんですけどね。個人的には地味に・・・神社とかなにかで」

 圭ちゃんの言うことも頷ける。もっとも今となっては、その式ですら私には無意味だったとさえ思えてしまうのだが・・・・。

「まさかそれで今、揉めてるとか!?」

「いや・・そこまで大袈裟じゃないんですけどね」

と、圭ちゃんは照れ臭そうに笑った。

「フッ‥、たかだか二時間だろう?披露宴ったって!?」

「まぁ、そうなんですけどね・・・・」

「智ちゃんのこと思えばそのくらい我慢してやんなくちゃ!結婚したらもっと我慢しなくちゃならないことがあるんだしさ!」

 つい、元気づけようとして出た台詞も、自分には気恥ずかしく聞こえてならなかった。

「我慢ですか・・・・。それはそうと、真由美さんとはどうです!?」

「あ~・・・・。真由美か・・・・」

 一転する立場に私は思わず苦笑いを浮かべる。

いずれにせよ明るい話題だ。つまらぬ話で水を差してはと、私は喉まで出かかった続きを抑え込んだが、この話においてもタイムリミットがあるのだと痛感していた。

 私は午後の作業をしながら、いつしか話すタイミングも一緒に探していた。

──ガチャッ!!

鉄の扉の奥から現れた恵理香は、私を見るなりクスッと笑った。部屋に入ってからも、ただクスクス笑うだけで、言葉らしい言葉はない。しばらく流れに任せていた私も、さすがに自分の顔が気になり出し、

「──何か付いてる!?」

と、疑問そうに尋ねた。

 確かに来る前には鏡を見た。しかし、じっくり眺めたわけではない。右手で顔を撫でながら、私は数十分前の記憶を辿る。

「ううん、別になんでもないの」

「なんでもって‥笑いじゃないだろ?」

 それでも笑って問い詰めたのが良かったのか、

「一昨日来たばかりだったから」

と、恵理香はあっさりと答えた。

「あ~!それで!」

「どうしたのかなって?」

「どうしたってわけでもないんだけど、迷惑だったかな!?」

「・・・・だったら笑ったりしないでしょ」

「フッ‥。それもそうか」

 こんな他愛もないやり取りも、二人にとっては心安らぐ瞬間だったかもしれない。

「ちゃんと寝られてるか?」

「ええ‥」

「仕事は行ってる?」

「ええ‥フフ‥」

 とは言え、時にはリラックスも考え物だ。飲み物を持って来た恵理香に何気なく尋ねたつもりでも、また恵理香の笑いを誘う結果となってしまった。

「一昨日と同じこと訊いてるから──」

「あ!?そ‥そうだったっけ!?」

 理由を聞かされ慌てて惚けて見たものの、ばつの悪さと来たら無かった。着実に刻まれて行く時間が、私の意識を別のところへ奪うのかもしれない。正直、ここへ来たら来たで、子供の顔がチラついて仕方ないのだ。熊や人形を詰め込んでいる頃だろうか。使わない新聞までしまい込んで真由美に怒られてはいないだろうか。考えたところでどうにもならないのに・・・・。と、私は自分を嘲笑った。

 しかし、恵理香にはあくまで自分を心配してくれているとしか見えなかったようだ。それが心底うれしかったのだろう。恵理香は自らの身体で喜びを伝えた。私が黙って身を任せたのも、意識を何かに紛らせたかったからに違いない。

──ドッ!!ドッ!!ドッ!!・・・・。ピュッ!!ピュッ!!ピュッ!!・・・・。

 翌日の夕方だった。勇ましい音と共に現れる一台の大型トラック。その派手な風貌に圭ちゃんも私も、すぐに誰だかピンと来ていた。

「よう!しばらく!」

 キャビンが小さく見える程の大男は、降り立つなりニヤリと右手を上げる。そう、元格闘家の異名を持つ、鈴木さんである。

「しばらくですね~!」

常連とは言え、このところ鈴木さんは姿を見せていなかった。仕事でも忙しいのだろうと思いつつも、やはり顔を見るとホッとするもので、圭ちゃんも私も微笑ましく声を掛ける。

「どうだい!?忙しいかい?」

「ま~、お蔭様って言うか──」

「それはそうと、具合はどうだい?」

と、鈴木さんは在り来たりの挨拶を交えたあと、圭ちゃんのBMWに目を移す。

「ええ!なかなか調子良いですよ!」

 圭ちゃんもピットの裏に見える愛車に視線を送った。だが、それは少し意味が違ったらしく、鈴木さんは身体の方だと言って突然笑い始めた。圭ちゃんもとんだ勘違いだったと笑って話の視点を戻した。

「フッ‥。でも圭ちゃんらしいや」

 そんな笑いが覚めやらぬ中、鈴木さんは何か意味ありげに呟くと、ゆっくり車に向かって歩み始めた。その視線からして車の話は、これからが本題だったようだ。

「Z4じゃ、やっぱり申し訳ないってかい!?」

「ええ‥。え!?どうして鈴木さんがそのこと!?」

「あ~、会ったんだよ。笹川の社長に」

「会った!?」

「ま~、もっとも俺たちはみんな無線ってもん積んでるから、圭ちゃんが事故っただの、その相手が笹川の社長だのって話は仲間内の話題というか、すぐに伝わるもんでね」

「でも、それだけじゃ?」

 圭ちゃんが不思議そうに尋ねるのも無理はない。私も同じ疑問を感じたからである。

「簡単に言や、それで俺が社長に話を訊きに行ったってとこだな」

「あ~、その時に社長からZ4の話を?」

「いや、その話をしたのは実は俺の方なんだよ」

「鈴木さんが!?」

 私と圭ちゃんが浮かべていた穏やかな顔は、いつの間にか真顔に変わっていた。

「あ~!フッ‥。悪い人間でもないんだけど、あれで笹川の社長もなかなかのケチだから。訊いてみたら思った通り修理するなんて言い出して──」

「修理たって!全損ですよ!」

「ま~、俺は車見たわけじゃないけど、あの社長なら言いかねないだろ」

 圭ちゃんと私は顔を見合わせた。恐らく、見ると聞くとでは違うと互いに言いたかったに違いない。

「でも、それじゃ~尚更‥な~?」

「そうですよ!Z4なんて話──」

 会話はほとんど三人の掛け合いのようだった。

「──その昔、笹川の社長が事故を起こしたことがあんだけど、それをうちのグループで取りまとめたって言えばわかりやすいかな~」

「事故!?・・・・」

「鈴木さんとこの!?・・・・」

 未だ内容が見えない私達は、ポカンとしたまま鈴木さんの次の話を待った。

「あ~、なんせ相手がやくざだったんで揉めてさ~。それにケチだからあの社長、保険にも入りやがんねぇし──」

「やくざ!?・・・・」

「あ~!それじゃ~ってんで、うちのグループの頭が話に行ったんだけど、ま~言ってみりゃ同じ穴のムジナみてぇなもんだからな」

「同じ穴の!?」

「あ~!今は堅気だけど、その昔はこれだったから!」

と、鈴木さんは右手の人差し指で頬を撫で下ろした。

「あ~!」

 ここまで聞くとおおよそ察しがついたと、圭ちゃんも私も声を揃えた。

 つまりその一件を未だに恩義に感じているということなのだろう。ただそれですべてが払拭されたわけでもなかった。

「え!?でも鈴木さんは笹川さんとは面識ないわけでしょ!?」

 圭ちゃんはすぐさまその疑問を投げかける。

「いや~、俺もそんとき呼ばれて一緒に行ったんだよ」

「一緒に・・・・あ~!え!?一緒にって!?」

「事務所って言うか、あんときゃ組長の家だったな!」

「家!?」

 呆気に取られるのも当然だ。もっとも、いつぞやのラーメンの話ではないが、鈴木さんの絶妙な口ぶりも、私達の頭に浮かぶその恐ろしいまでの状況を助長していたに違いない。

「フッ‥。さすがに俺もビビったけどな」

「鈴木さんでもビビることがあるもんなんですね?」

「おい、そりゃ~ねぇだろ~島さん!」

 私の本音半分とも取れる冗談に、鈴木さんは表情を崩した。

「殺気立ったのが、二十人くらいズラーッと並んでんだからさ~!」

「二十人から居ると、鈴木さんでもダメですか?」

「ま~、せいぜい五人っつ~ところだろ!」

と、鈴木さんは掌をパッと開いて笑う。問いかけた圭ちゃんにしろ私にしろ、改めてその凄さを聞かされたと声を上げて笑うのだった。

「でも、悪かったですね。圭ちゃんのために──」

「な~に!いつも無理なことばっかり言わしてもらってるんだから!」

「いや、そんなこと──」

 今すんなりとBMに乗って居られるのも、言うなれば鈴木さんのお蔭と圭ちゃんも頭を下げた。当の鈴木さんにしても、もともと媚を売るつもりで立ち寄ったのではなかろう。

「ほら、いつだったか、トラック頼んじゃったりしたし──」

 それは態度と言葉からでも容易に察しが付く。とは言え、鈴木さんから思わず出た台詞に苦い記憶を蘇えらせた私は、

「あ~!──」

と、その時の経緯を笑い話のように話して聞かせた。

「パトカーに!?」

「ええ。たぶん交差点であたふたしてたの見てたんでしょうね」

「フッ‥。それじゃ~な」

「いや~、俺もぶつけでもしたらって必死でしたよ」

「もしそうなったって、ここには部品が売るほどあんだから大丈夫だろ!」

と、鈴木さんは陽気に笑った。

 そんな鈴木さんを始めとした人達によって支えられている。そう思うと私の照れ臭い笑いにも喜びが満ちて来るのであった。